「自己肯定感を高めるためにも、成功体験を積もう」という考えは、現代社会に浸透している。しかしスポーツドクターの辻秀一さんは「その考えこそが自己肯定感の呪縛であり、それによって幸せどころか、むしろ苦しさを感じている人が少なくない。このままだと、日本人の心が危ない」という――。

※本稿は、辻秀一『自己肯定感ハラスメント』(フォレスト出版)の一部を再編集したものです。

穴の中に閉じ込められた男
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自己肯定感を上げるために“自身にウソをつく”

「自己を肯定する」とは、確かに聞こえのいい言葉です。

ただ、そのため、肯定しなければならない、否定はダメなのだという概念が私たちを支配していきます。本来は自己のすべてを受け入れて、自分らしく生きましょうという意味かもしれませんが、肯定するために、比較したり、ポジティブなことを探したり、いい意味付けを見つけなければいけなくなっています。

自己肯定感を上げるために自身にウソをついて、すべてをポジティブに考えていこうとしなければならなくなっているケースも見受けられます。

それこそが、自己肯定感の呪縛です。

「私、自己肯定感が高いんです!」「どんなこともポジティブに考えて、オレも社会も最高!」とうわべでは思いつつも、実は内心では苦しいと感じている人が増えています。

「肯定」という言葉の反対語に否定があるので、肯定感を保つために、否定してはいけない、すなわち、「すべてをポジティブに考えるのが自己肯定感への正解なのだ」と思い込んでしまうのです。

「成功が善、ポジティブが正」という思いが自己肯定感至上主義には存在します。本来はそんな発想ではなかったのかもしれませんが、私たちの脳は現代社会の中で自己肯定感をこのように捉え、それによってむしろ幸せどころか、苦しさを感じている人が決して少なくないのです。

対立構造を生み出す「肯定至上主義」

自己肯定感の妄想が激しくなれば、ハラスメントやいじめ、誹謗ひぼう中傷やヘイト主義さえも生み出していくのではないかと私は恐れています。つまり、自己を肯定していこうという考えは、他者への否定によって満たされるというリスクがあるからです。

上司がパワハラするのも、上司が自己肯定感を維持あるいは高めるために、地位への肯定感がそうさせるのだと言えるでしょう。「偉い、偉くない」とか、「地位が高い、高くない」は、自己肯定感の考えにとっては大事な情報になります。

一方、自己存在感という概念であれば、上司も部下も、社会的地位もまったく関係のない発想が生まれます。

強者と弱者、メジャーとマイナー、正義と不義などの対立構造を、肯定至上主義が生み出しているのではないでしょうか?

強者は弱者を支配することで、自己肯定感を満たします。メジャーはマイナーを乗っ取ることで、自己肯定感を満たします。正義は不義を否定して、自己肯定感を満たそうとするのです。

無意識な自己肯定感向上へのバイアスが自身はもちろん、まわりや社会を苦しめることになってしまっていると声を大にして言いたいのです。これこそが自己肯定感ハラスメントの社会なのです。