みるくのためにも、苦しまない
ペットを失ったことがある方ならどなたでも、似たような経験をしたことがあると思います。しかし、自分を責め続け、そこから抜け出せなくなってしまっては、それこそペットロスになってしまいます。飼い主の心身に何かしらの影響が出て、長く苦しむことは、15年間過ごしたみるくとの時間を否定することになるのでは――? そう思い、みるくのためにお経を唱え、見送るときには次のように話しかけました。
「みるくはかわいくて、とっても大事な存在だった。してあげられなかったこともあったかもしれないし、後悔がないわけではないけれど、お母さんはみるくのことを精いっぱい頑張ったよ。15年は大往生だよ。よく頑張ったね。あなたに会えてよかったです。ありがとう。もう泣かないからね」って。
いなくなった悲しさを伝えるのではなく、15年生き抜いたことを、声に出して褒めてあげたんです。子供たちの面倒をよくみて、私の不在時に留守番もしてくれて。人間には機嫌のいい悪いがありますが、みるくはいつも変わらず私のことを見守ってくれたわけですから。
思い出を「喪失感」ではなく「感謝」の箱へ
もちろん、今でも折に触れて涙は出ます。けれど、つとめて今まで通りに暮らしています。ほんの少しみるくの毛を切らせてもらって、それをビニール袋に入れて、お骨の上に置いて。「今日はこんなことがあったよ」「姿は見えないけど見守ってね」と、生きていた時よりも頻繁ではないかというくらい、普通に話しかけています。
たまに、「ペットのお骨はいつまでそばに置いておいてもいいんでしょうか?」と聞かれることがありますが、そこに明確な決まりはありません。3年でも、5年でも、飼い主の心の切り替えができるまで、そばに置いたらいいと思います。
そして、少しずつ「喪失感」という名の箱に入っていた思い出を、「感謝」の箱に移し替えていきましょう。いきなり感情を切り替える必要はないんです。
ほかの2匹が「喪中症」に
実はみるくが病院で急変した時間、家でちょこれーとが遠吠えしたんです。言葉を持たない者の直観だったのでしょうか。その時、私にも「みるくはもうだめなんだな」と分かりました。
そしてみるくが亡くなった日から、今度はちょこれーとの具合が急激に悪くなっていきました。病院に連れて行くと、先生から「喪中症です」と告げられました。飼い主や家族を喪ったペットが、悲しみのあまり食事もとらなくなり、衰弱することを指すそうです。極端なケースでは死に至ることもあるといいます。
とうとう、ちょこも動けなくなるほど衰弱してしまいました。ところがある日、ふと顔をあげてシッポをバタバタと振ったんです。その時も私は、「みるくが迎えに来たんだな」と思いました。その後、ちょこは静かに倒れて、私が頭をなでながら「よく頑張ったね。もう頑張らなくていいよ」と話しかけると、そのまま眠るように逝ってしまったんです。
いつも一緒にいた母と兄を失ったみんともパニックになり、ほどなくして亡くなりました。具合が悪くなり、病院に連れて行った時、彼女も喪中症だと言われました。