政府の採用モデルと「目玉焼きモデル」の決定的な違い

政府が採用したモデルは、実効再生産数を一律に考えるものでした。国全体を平均した実効再生産数が1を大きく超えていたとすると、それが1未満に下がるまでは、国民全員に一律に自粛を求める対策です。

これに対して「目玉焼きモデル」は、実効再生産数を一律に考えないことが最大の特徴です。繁華街など実効再生産数が高い場所、実効再生産数が1くらいまでの場所、巣ごもりなど実効再生産数がゼロに近い場所などに分けて、ターゲットに合った対策をとっていくものです。

「目玉焼きモデル」の真ん中の黄身の部分は、繁華街など実効再生産数が高く、その周囲の白身の部分は実効再生産数が低いところです。真ん中へ行くほど実効再生産数が高くなり、外側へ行くほど実効再生産数が低くなり、一番外側ではほぼゼロになります。実効再生産数が高い繁華街の一部の店や高齢者施設などでは、重点的な対策が必要ですが、実効再生産数がそれほど高くない一般生活圏に入っている人には、できるだけ通常の生活を続けてもらえるようにしたいと思いました。

ただし、一般の人も一定程度は警戒しなければいけませんので、目玉焼きの少し外側に行ってもらう。それが「100分の1作戦」の実践です。

政府・自治体の緊急事態宣言による対策は、全国民を目玉焼きの一番外側の「巣ごもり」にさせるような対策でした。これでは、社会経済生活が破綻してしまいます。ターゲットを絞った対策をするためのイメージが「目玉焼きモデル」です。

全国どの地域でも、繁華街などの感染拡大箇所で重点的に対処し、一般の人にはある程度の自粛をお願いすれば、感染を抑えられることが示唆されていました。緊急事態宣言によって、全員一律の強い自粛要請を行なう必要はなかったのです。

感染症モデルによる「人と人の接触機会」の削減は、数字に基づく計算であって、ウイルス学を無視したものでした。「人と人の接触機会」を減らすことは、あらゆる手を尽くした後の最後の最後の手段です。何をやってもうまくいかないから、最終的に「人と人の接触機会」を減らすというのであれば理解できますが、最初から「人と人の接触機会」を減らすのは、間違っています。