東大に女子が増えない理由

その理由は? 前の質問のおばあちゃんみたいなひとが、女の子の意欲をくじくから、なんでしょうねえ。おばあちゃんだけじゃありません。進路指導の先生だって、「女の子だから無理しなくても」と言うし、東大受験するって言ったら周囲が「女子なのにすげぇ」ととくべつな目で見るし、地方の女子だったら親が県外には出さない、って言うし……。

もっとちっちゃい内からこのアスピレーション(達成欲求)のクーリングダウン(冷却)は始まっています。「女の子だからそんなにがんばらなくても」「できすぎると可愛かわいくないよ」とか。周りがよってたかってあの手この手で、女の子の意欲を挫いているんですね。自分も加担していないか、反省してみましょう。

女子は低い教育しか受けられなかった

東大に女子が入学できるようになったのは敗戦後の1945年。戦前は大学に入るには旧制中学から旧制高校へ進学しなければなりませんでしたが、旧制中学も旧制高校も全部男子校でした。女子は高等女学校へ。そこから先は女子師範学校(先生になるための専門学校)しかありませんでした。東西にふたつあった東京女子高等師範学校と奈良女子高等師範学校が、現在のお茶の水女子大学と奈良女子大学の前身です。国公立の女子大学はありませんでしたから、日本女子大学校(現、日本女子大学)だの女子英学塾(現、津田塾大学)だのという民間の高等教育機関ができました。

旧制中学・高校と高等女学校の教育課程は違っていましたから、女子は男子より低い教育しか受けられませんでした。「キミ、こんなことも知らんのか」と言われても、教育を受けていないのですから、しかたありません。

旧帝国大学で女子学生の入学を初めて許可したのは東北帝国大学です。1913年、創立間もない東北帝大が、独自の判断で4人の女性の受験を認め、3人の女子学生が合格。3人は日本ではじめての女性の学士になり、さらにそのうちの2人が博士になって研究生活をつづけました。医者になるための医専(医学専門学校)に入る道も、女性には閉ざされていました。

医学校の門を叩き続けてようやく入学を許され、男子学生のなかに混じっていじめにいながら、日本初の女性医師になったのが、荻野吟子おぎのぎんこです。医学校を出てからも、医術開業試験をなかなか受けさせてもらえませんでした。女性は能力があっても、チャレンジさえ許されなかったのです。敗戦後の新制東京大学では、初の女子学生は新入生898名中19名、2.1%でした。男性がものめずらしい目で見るのを、ひとかたまりにかたまって耐えていたといいます。