憲法違反の可能性もある「旧宮家案」

旧宮家案の問題性についても、これまで述べていない点について、言及しておこう。このプランが憲法の禁じる「門地による差別」に当たり、“国民平等”の原則に違反するとの指摘があるが、このことがもつ深刻な意味について、もう少し掘り下げておきたい。

昭和天皇、上皇陛下、そして今の天皇陛下の、長年にわたる「国民に寄り添われる」ご努力のつみ重ねによって、今や圧倒的多数の国民が、天皇・皇室の存在を受け入れ、素直な敬愛の念を抱いている。それが実情だろう。

しかし以前は、数自体はさほど多くなくても、強硬な反天皇論者がいたし、一部には反天皇感情のようなものも、わだかまっていた。昭和から平成への時代の変わり目と、平成から令和へのそれでは、基調となるムード自体が大きく変わった。

昭和の時代には、昭和天皇の“戦争責任”をめぐる論理以前の怨念のようなものが、長く尾を引いた(昭和天皇の戦争責任をめぐる論理的・実証的解明については、大原康男氏「『天皇の戦争責任』覚え書」参照)。しかし、昭和天皇と上皇陛下ご自身が自ら進んで、むしろ背負われる必要のない「責任」まで、懸命に背負い続けてこられたそのお姿によって、そうした感情はほぼ過去のものになった。

しかし、「平等」という普遍的な価値と、天皇・皇室という日本独自の存在との関係については、さまざまな批判的観点を生み出しかねない素地が、今も完全に消え去ってはいないように思える。