政府の親へのフリーライド問題=「親ガチャ」の原因
拙著『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるために』(桜井啓太氏との共著・光文社新書)では、政府が親に養育・教育のコスト負担を課し、それゆえに政府予算や政策支援を怠ってきた“
親にとっては子どもを育てる金銭・時間コストの高さの割に政府の支援が少なく、子育てしていても、次第に喜びを失い苦労ばかり大きくなる。
子どもにとっては、所得の高い親かどうかによって人生を左右される「親ガチャ」から抜け出せない国なのである。
このような社会で、どのように意欲・学力・経済力格差が蓄積されていくか、筆者は2020年4月14日の文部科学省・大学入試のあり方に関する検討会議で、以下のような指摘をしたことがある(図表1)。
ご記憶の読者もいるだろうが、この検討会議は大学入学共通テストへの英語民間試験・記述式試験の強行を図ろうとし、それを萩生田光一文部科学大臣(当時)が「身の丈」発言でさらに炎上させ、延期判断をした「戦後処理」のために設置された会議である。
2020年に予定されていた英語民間試験・記述式試験の強行が、低所得層への補助なしに強行されようとしており、「親ガチャ」問題が深刻化することに対し、筆者は強い問題意識を持っていた。
「親ガチャ」を改善するためには「公正な教育機会」の実現こそが、必要なのである。
教育機会の格差は就業前から始まっている
就学前から生活と学びの双方において格差が開き始めますが、我が国は本格的な格差是正政策を導入していません。
子どもの貧困対策の改正時に、私自身も文科省と交渉させていただきましたが、学力格差指標の導入は見送られました。
高等学校以降は更に厳しく、学校は「格差生成装置」とすら指摘されています。控え目に言っても、日本の大学入試制度の都市部在住、男性、高所得者の子供たちに有利な格差生成装置にすぎないのです。
主要先進国とは異なり、日本の教育政策だけが、公正の実現と格差是正を政策に位置づけていません。
※文部科学省・大学入試のあり方に関する検討会議・第5回議事録(2020年4月14日)より筆者の発言を一部修正して掲載している。