「自然」と「あたたかい人間関係」のある暮らし

若い人たちがここでの暮らしを幸せに感じてくれているとしたら、ここにはやはり人間らしい暮らしがあるからでしょうね。

「三浦編集室」編集長の三浦類さん
「三浦編集室」編集長の三浦類さん(『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり』(小学館)より)

一つは自然です。ここは常に土の上に足を下ろし、緑に囲まれ、猿や猪などの動物にも出会える。人間は、本能的にそういうものを望むのではないかと思います。

もう一つは、あたたかい人間関係です。幸せも不幸せも、そのほとんどが人間関係に起因しています。大森町には、みんなが声をかけ合って、一緒にごはんを食べたり、海や山に遊びにいったりという人と人とのつながりがあります。

当社で、石見銀山や大森町の暮らしを伝える企業広報紙「三浦編集室」の編集長を務めている三浦類さんも、インターンで大森町に1カ月住んだときは、一人で食事をしたことがなかったと話していますね。ここでは人間らしく生きられて、周りに喜びをともにできる人たちがいるのです。インターンは、ここでの暮らしの研修をするために、1カ月という長い期間を設定し、インターン生には、阿部家の掃除から食事の支度まで、暮らしに関わることを何でもしてもらっていました。

中でも最高の社会勉強は、阿部家にお見えになったお客さまと夕食時に、お運びしながらいろいろな話を耳にしたことでしょうね。

昔は家にお客さまが来られたり、親戚が集まったりと、子どもながらに自然に大人の話を耳にする機会が多かったと思いますが、今はそういう機会はなかなかありませんから、とても貴重な時間だったのではないでしょうか。

離れても、町と関わり続けてほしい

若い人たちにはこの町に長く住んでもらって、ずっと一緒にやっていけるとうれしいですが、さまざまな事情で辞めていく人もいます。

松場登美『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり 人口400人の石見銀山に若者たちが移住する理由』(小学館)
松場登美『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり 人口400人の石見銀山に若者たちが移住する理由』(小学館)

阿部家を辞めるスタッフには、私はいつも手づくりの卒業アルバムを渡しています。スタッフを家族のように思っているので「これは退職じゃなくて卒業ね」って、その子との思い出写真に言葉を入れて、1冊のアルバムにしてプレゼントしているんです。いつかアルバムを開いたときに、在職中にすごく叱られたことも「あれは愛だったんだ」って思ってくれるかなって(笑)。

いざ移住してみたら想像と違ったり、水に合う合わないがあるかもしれませんが、一度この町に関わったら、単に楽しかったというだけでなく、ここで何かを学び、何かをつくり、ここに足あとを残す生き方をしてほしいですね。

そして、ここを旅立っても、また行き来しながら、この町と関わりつづけてもらえるようなおつき合いができるといいなと思っています。本人の中で、この町と出合えてよかったと幸せを感じてもらえれば、これ以上のことはありません。

継続して利益を上げていくのも会社の大きな目的の一つですが、私たちは事業を通して、この町に暮らす次の世代の人たちを育てていくことも大切な目的と考えています。この会社で働いたからこそ成長した、そういう会社でありたいですね。

松場 登美(まつば・とみ)
「石見銀山生活文化研究所」所長

1949年、三重県生まれ。株式会社「石見銀山生活文化研究所」代表取締役。服飾ブランド「群言堂」デザイナー。1981年、夫・松場大吉の故郷、島根県大田市大森町に帰郷。1989年、町内の古民家を改装し、「コミュニケーション倶楽部 BURA HOUSE(ブラハウス)」をオープン。以降、数軒の古民家を再生させる。1994年、服飾ブランド「群言堂」立ち上げ。2003年、内閣府・国土交通省主催「観光カリスマ百選選定委員会」より観光カリスマに選ばれる。2006年、文部科学省・文化庁より文化審議会委員に任命される。2007年、内閣官房・都市整備本部より地域活性化伝道師に任命される。2008年、日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2008 総合3位」に選出される。株式会社「他郷阿部家」設立。2011年、株式会社「石見銀山生活文化研究所」代表取締役に就任。2021年、「令和2年度ふるさとづくり大賞」内閣総理大臣賞受賞。『群言堂の根のある暮らし―しあわせな田舎石見銀山から』(家の光協会)、『なかよし別居のすすめ―定年後をいきいきと過ごす新しい夫婦の暮らし方』(小学館)など著書多数。