バブルの発端は急激な円高からの公定歩合引き下げ

ではここで、1980年代に起こった「日本のバブル」を振り返ってみましょう。まず日本は1985年から、急激に円高が進みました。円高は「日本のモノが高い」ですから、輸出国であった日本にとっては厳しい状況です。そこで日本銀行(日銀)は同年、来るべき円高不況に備え、公定歩合を2.5%まで下げるという思い切った金融緩和を実施しました。

公定歩合とは、日銀が銀行に資金を貸し出す際の利子率です。ふだんは5%ぐらいですが、それを2.5%まで下げたということは、いわば日銀が「お金の半額セール」を始めたようなものです。民間銀行の多くは、この金利の安さに飛びつき、日銀から多額のお金を借り入れました。こうして、まず企業や国民が銀行から低金利で、いくらでもお金を借りられる状況、いわゆる「カネ余り」の土壌が整いました。

そして同時期、「投機に向いた手頃な商品」も登場しました。NTT株です。

1986年、日本政府は財政再建の切り札としてNTT株を発売しました。NTTといえば前年に民営化されたばかりの、当時日本の電話サービスを100%支配していた独占企業です。しかも、その株式は、100%政府保有。ということは、NTT株は「まだ世に出ていない、値上がり確実な超優良企業の株式」です。

国民は色めき立ち、購入希望者が殺到しました。最終的に10倍もの抽選になりましたが、幸運にもその抽選に当たった人々は、初値の「1株119万円(1人1株のみ)」で買ったNTT株が、そのわずか2カ月後に「1株318万円」まで上がるという信じがたい事実を経験したのです。

世界的な流行と経済的影響
写真=iStock.com/Ca-ssis
※写真はイメージです

素人がブームにのって買った株が、わずか2カ月で200万円もの差益を生んだ……、この事実は、一般国民に「株ってちょろいな」と錯覚させるのに十分でした。これを機に、日本は空前の株式投資ブームになりました。しかも当時は、カネ余り期。銀行に行きさえすれば、安い金利で資金はいくらでも借りられました。こうしてバブルの幕は上がり、人々がさまざまな銘柄の株を買いあさった結果、1986年には1万3000円台だった日経平均株価は、3年後の1989年末には、なんと史上最高値となる3万8915円を記録したのです。