「カネ余り」期に「投機商品」があればバブルに
バブルとは、土地や株などの「資産」(個人や企業がもつ現金化が可能な財産)への投機が過熱した結果、世の中の好不況や実体経済の規模とは無関係に、地価や株価だけが異常に高騰する現象です。つまり地価や株価が、実体経済という「中身がないのに膨らむ」からバブル(=泡)というわけです。
バブルが起こりやすいタイミングは、2つあります。ひとつは「投機に向いた手頃な商品」が出現したとき。そして、もうひとつは「カネ余り」が起きているとき(あるいはその両方)です。たとえば16世紀のオランダのチューリップバブルなどは、前者の典型例。その珍しくも美しい花は希少性が高く、しかも球根で取り引きできる手軽さは交換価値を高め、価格はあっという間に「球根1つ=土地4.8ha」まで上昇しました。これに対し、1980年代の日本のバブルは、手頃な商品とカネ余り、両方がそろっていました。
カネ余りは、好況時だけでなく、不況時にも起こります。いやむしろ、不況時のほうがカネ余りの規模が大きく、バブルを誘発しやすいといえるでしょう。なぜなら不況時には、金融面(日銀)でも財政面(政府)でも緩和政策が実施されることで、大々的に「カネがばらまかれる」からです。そのせいで過剰流動性(カネ余り)が発生し、そのカネが土地や株式の市場に流れ込めば、実体経済が不況のままでもバブルが発生するのです。
バブルのおかげで、景気はよくなります。土地や株で利益を得た個人や企業の金回りがよくなる「資産効果」が、景気を牽引してくれるからです。しかし、そのカネの多くは、設備投資などの実体経済に向かいません。「さらなる投機」に向かいます。
こうなると、かなり危険。マネーゲームの規模と実体経済の規模が、どんどん乖離していき、それが続くとバブル崩壊時の金銭的損失を、実体経済でカバーしきれなくなります。わかりやすくいうと、マネーゲームに失敗した企業の出す損失額は、本業の利益でカバーできる額をはるかに超えるため、結果破綻を招いてしまうのです。
バブルの発端は急激な円高からの公定歩合引き下げ
ではここで、1980年代に起こった「日本のバブル」を振り返ってみましょう。まず日本は1985年から、急激に円高が進みました。円高は「日本のモノが高い」ですから、輸出国であった日本にとっては厳しい状況です。そこで日本銀行(日銀)は同年、来るべき円高不況に備え、公定歩合を2.5%まで下げるという思い切った金融緩和を実施しました。
公定歩合とは、日銀が銀行に資金を貸し出す際の利子率です。ふだんは5%ぐらいですが、それを2.5%まで下げたということは、いわば日銀が「お金の半額セール」を始めたようなものです。民間銀行の多くは、この金利の安さに飛びつき、日銀から多額のお金を借り入れました。こうして、まず企業や国民が銀行から低金利で、いくらでもお金を借りられる状況、いわゆる「カネ余り」の土壌が整いました。
そして同時期、「投機に向いた手頃な商品」も登場しました。NTT株です。
1986年、日本政府は財政再建の切り札としてNTT株を発売しました。NTTといえば前年に民営化されたばかりの、当時日本の電話サービスを100%支配していた独占企業です。しかも、その株式は、100%政府保有。ということは、NTT株は「まだ世に出ていない、値上がり確実な超優良企業の株式」です。
国民は色めき立ち、購入希望者が殺到しました。最終的に10倍もの抽選になりましたが、幸運にもその抽選に当たった人々は、初値の「1株119万円(1人1株のみ)」で買ったNTT株が、そのわずか2カ月後に「1株318万円」まで上がるという信じがたい事実を経験したのです。
素人がブームにのって買った株が、わずか2カ月で200万円もの差益を生んだ……、この事実は、一般国民に「株ってちょろいな」と錯覚させるのに十分でした。これを機に、日本は空前の株式投資ブームになりました。しかも当時は、カネ余り期。銀行に行きさえすれば、安い金利で資金はいくらでも借りられました。こうしてバブルの幕は上がり、人々がさまざまな銘柄の株を買いあさった結果、1986年には1万3000円台だった日経平均株価は、3年後の1989年末には、なんと史上最高値となる3万8915円を記録したのです。
不動産、名画、ゴルフ会員権、値段はぐんぐんアップ
一度投機に味を占めると、二匹目のドジョウを狙いたくなるのが人間の性。株式投資に少し遅れて、ブーム化したのが「不動産投資」です。国土面積の狭い日本には昔から「土地神話」(地価は絶対下がらない)がありましたから、カネ余りの当時、不動産も投機に向いた商品として目をつけられたわけです。人々は低金利で銀行融資を受け、土地やマンションを買いあさりました。その結果、不動産価格もどんどん高騰し、1990年には日本の地価総額は2470兆円にまで高騰しました。この額は、なんと「アメリカ3個分」にあたる金額でした。特に都心部の地価高騰はすさまじく、ピーク時には東京23区の地価総額だけで「アメリカ1個分」にもなったそうです。
その後人々は、土地や株以外にも金目のモノを次々と買いあさり、その結果、世界的名画やゴルフ会員権、ブランド品などがぐんぐん値を上げていきました。なお、この当時、私たちは自分が置かれている状況を「バブル」とは思っていませんでした。そんなマクロな視点ではなく、もっとミクロな「私の財テク」という意識しかなかったのです。その集積がバブル経済を形成し、私たちは「日本は世界一の経済大国になった」「ジャパンマネーは世界最強」などと浮かれていたのです。
しかし、このバブルも、やがて終わりを迎えます。1989年、日銀は公定歩合を2.5%から6%まで引き上げました。これで金利が2倍以上になり、人々は簡単に大金を借りられなくなりました。つまりカネ余りは、これにて終了。そして翌1990年、政府は「不動産融資総量規制」を発表しました。これは大蔵省から銀行に出された行政指導で、銀行が不動産取引でお金を貸す場合、貸出額に上限を設定するという内容でした。つまり、このルールによって、銀行は高額の不動産取引にお金を貸すことができなくなったのです。
こういった一連の引き締め政策で人々の「値上がり期待感」はしぼみ、土地や株の売り注文が殺到した結果、地価・株価は暴落。バブルはあえなく崩壊してしまったのです。
バブル後の地価・株価は、ひどいものでした。まず株価のほうが敏感に反応し、翌年1990年には、日経平均株価が2万円を割り込みました。わずか1年で、ピーク時から半値近く下がったことになります。地価も値を下げ続け、2006年末には1228兆円と、こちらもピーク時の半分ぐらいに下がりました。この間、企業の倒産は増え、個人のリストラは進み、銀行が不良債権に苦しんだのは、皆さんもご存じのとおりです。
2021年現在、世界は「コロナ緩和マネー」があふれ、日本も不況であるにもかかわらず株価や地価が上昇するというバブルの様相を呈しています。そこにのっかる、のっからないは個人の自由ですが、「自分も投資を」と思っている人は、過去の教訓を胸に刻み、くれぐれも「降りどき」を間違えないよう気をつけましょう。