熱中し没頭する時間をつくる
「子どもたちが没頭する、熱中する時間をつくる」ことが、本当に子どもたちに必要な授業であり、教育です。教育のイメージをこのように切り替えると、「授業」と呼ぶのはちょっとおかしい。
日本では、国が組み立てた内容を、教育関係者が具体的な教材にします。その教材や教科書を使いどう教えるかを考えるのが教師です。つまり、教師は教え方のプロであり、教える中身についてはこれまであまり絡んできませんでした。そういう点にも考慮し、学びを活性化させるための方法を柔軟に、大胆に考えていく必要があると思います。
20世紀型のこれまでの教育は、子どもたちが黒板に向かって並んで座り、先生が情報を提供してくれる人という限定された条件の上でのトーク&チョーク方式の教育でした。いまはICT化も進み、たくさんの情報をインターネットから拾うこともできるようになりました。地球の反対側の子どもたちと映像をつなげることもできます。
いま、学校の授業にうんざりしている子どもたちが「これは面白い、すごい!」と感じ、没頭し、熱中するような本物性、そういうものを学校が用意する素地はできています。
子どもたちがあっと驚くことを用意する
本物性とは何でしょうか。それはやはり、子どもたちの心の深いところが動くことです。小さなことでもいい。そこに何か大事な真実があれば、子どもたちは感動します。
社会のどうでもいい論理でまだ汚されていない子どもたちには大きな可能性があります。子どもたちのことを「まだ何もわかっていない」と言う人もいますが、大人のつくった本来は必要のない知識に汚されていない子どもたちだからこそ、心を揺さぶるような授業をしなければ、子どもの可能性を引き出す教育にはならないのです。
「子どもはこうだ」と勝手に解釈して、失敗しないように先に手を打ってしまうのではなく、子どもたちの可能性をリスペクトして、教師や親が必死になって、子どもたちがあっと驚くことを用意してあげてほしい。
そのときの子どもの内面の反応についても「きっとこうに違いない」などと下手に推測することなく、ただ、子どもたちが感動し、面白がっている、その事実に謙虚であればいいと思います。評価したり価値づけをしたりするというのは、本来はこういう態度のことを言います。アセスメントです。そして、「子どもって面白いな」と思い続けていることが、子どもの教育を支える教師の仕事であり、親の役目なのです。
1947年、大阪府生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。専門は教育学、教育人間学、育児学。育児や保育を総合的な人間学と位置づけ、その総合化=学問化を自らの使命と考えている。主な著書に『小学生 学力を伸ばす 生きる力を育てる』『本当は怖い小学一年生』など多数。近著に『「天才」は学校で育たない』(ポプラ新書)、『教えから学びへ 教育にとって一番大切なこと』(河出新書)がある。