自動車部品3万点のなかには特殊な技術でないと作れないものがある。部品を採用する段階から、代替部品はどこで入手できるかまで考慮に入れておくことが必要なのだ。
河合も「どんなことをしても調達マップが完成することはない」と言い切る。
「僕らは危機のたびにマップを見て、取引先が何を作っているかを確認する。この材料なら、万が一の場合はここがあるとか、確認しないと気が済まない。危機管理では何度も苦い経験を積み重ねている。ただ、今回の様子を見て、現場のみんなが教訓を生かす体質はできたとは思っている」
数々の危機を乗り越えて原則はできる
トヨタの危機管理のこれまでを総括する。
本格的に始まったのは1995年の阪神・淡路大震災だ。
大部屋での壁管理、白板の活用、先遣隊の派遣、協力会社、被災地域への支援などはこの時にできた。
次に危機に臨んだのがリーマンショックだった。この時は災害ではなく需要の急減である。対処はトヨタ生産方式にのっとった生産現場の姿を取り戻すことだった。「異常が顕在化したらラインを止める」という原則を再確認し、「売れる場所で売れる車を売る」という販売面での原則を打ち立てた。
その次のステップは東日本大震災だった。規模が大きく、また長期化した災害に対して、トヨタは東北地方へ工場を移し、雇用を作った。災害支援の規模を大きくし、時間軸を長めに設定したのである。
以後は毎年のように、自然災害が起こっている。それに合わせて危機管理、危機対処が行われている。数年前から、本格的な物流カイゼンが始まっている。
そして……。
2020年、新型コロナ危機が起こった。世界各地の工場は停止し、減産した。また、需要も減少した。しかし、トヨタは赤字に転落しなかった。赤字を出さずに済んだのはこれまでの危機体験とそれに対する耐性の強さ、そして、具体的な対処行動があったからだ。つまり、度重なる危機がトヨタを強くしたと言える。
「まず税金を払える企業にしよう」
エグゼクティブ・フェローの友山茂樹は「そうです。危機管理の方法が確立するのに10年はかかっています。それでもまだ完成はしていません」と語る。
「豊田が社長になった時、とにかくリーマンショックの赤字から脱却することが重要でした。豊田は、まず税金を払える企業にしよう、と言っていました。最初の5年くらいは業績の立て直しに集中したのです。将来に向けて動き始めたのはやっと2015年頃になってからでしょうか。
2018年にはTPS本部を作り、ばらばらになっていた生産調査部を再構成し、TPSをあらためて徹底する活動を始めました。
同時に車両物流や部品物流などの物流部門もTPS本部の傘下に組み入れ、物流のカイゼンを本格的に開始しています」