本誌秋号(2019年9月28日発売)では、「税金」のお話をしましたが、ここでは税金に関連して「脱税」について取り上げます。税が古くからある以上、脱税の歴史も古くからあります。いつの時代もペナルティは厳しかったようです。
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税金の始まりは中国の秦王朝

中国の秦王朝(紀元前2世紀)には、すでに貨幣と戸籍がありましたが、これは当時の中国には、すでに本格的な税体系があったことを意味します。貨幣は税の徴収をしやすくするため、戸籍は男女の人数と年齢を把握することで、人頭税(人口に対して無条件に徴収する税)を正確に徴収しつつ、若い男性に労役や兵役という「別種の税」を課すためです。そして、この当時の脱税といえば、「贋金づくり・戸籍に載せない・年齢詐称(老人のフリ)」。もちろん見つかれば、厳しい罰が待ち受けていました。

教会の力が強かった中世ヨーロッパ

ヨーロッパにも歴史上脱税はいろいろありましたが、特にキリスト教がからむ脱税は、非常にスケールの大きいものでした。

かつてローマ・カトリック教会は、信徒たちに「10分の1税」を課していました。これは信徒が収入の10分の1を教会に納税することで、教会の運営費用や改修費、貧者への慈善事業の財源を捻出するという税で、従わない者には破門や教会への立ち入り禁止などのペナルティが課されました。

しかし、この税のせいで領民の税負担能力が下がると、今度は王が領民からそれ以上の税を取れなくなります。そこでフランスの王フィリップス4世は、思い切った手に出ました。何とローマ教皇ボニファティウス8世を誘拐し、退位を迫ったのです。つまり、フランス寄りのローマ教皇に変えてしまって10分の1税を逃れようというのです。これなど、この上なく大胆な脱税方法といえるでしょう(この事件を機に教皇は憤死し、王は教会の徴税権を弱めることに成功しました)。