母のうれしそうな笑顔が今、心の支えになっている

ちょうど私自身も仕事上で大きな岐路に立たされた時期でした。「第一三共ヘルスケア」という新会社の設立にあたり、製品戦略部を率いることに。さまざまな選択を迫られる際に大事な指針となったのが母の言葉です。「人様の役に立つ人間にならなあかん」という言葉を肝に銘じ、我々の仕事や製品は「患者さんや生活者のためになっているのか」と顧みることを心がけてきました。人生のいくつかの岐路を振り返っても、自分が進むべき方向性を自ら決めていくことを、母に訓練されていたように思います。

(左)夫婦2人の生活になると、母は和紙の切り絵を習い、能の謡曲集を揃えて熱心に稽古していた。(右)父が亡くなるまでの約3年間、厚木の自宅近くに呼び寄せた両親とあちこちへ旅行。「短い時間でしたが、ものすごく親孝行できたかな」と西井さんはほほ笑む。

今、89歳の母は自宅近くのケアハウスで介護を受けながら生活しています。父を看取った頃はすでに認知症を発症し、父との別れも半ば理解できなかったよう。当初、私も母が記憶を失くし、突拍子もない行動をする様子にショックを受け、かなり落ち込みましたが、妻の支えがあって徐々に受け入れてきました。

現在、私は東京での単身生活ですが、週末には神奈川の家へ帰り、必ず母に会いに行きます。私のことを息子だとわからず、「見たことのある人」という感じでも、うれしそうな顔を見ると励みになる。内容はとんちんかんでも大阪弁で話せるのはホッとします。なにより母がそばにいてくれることが、今の私の心の支えになっていますね。

西井良樹(にしいよしき)
第一三共ヘルスケア 代表取締役社長。1955年11月4日、大阪府出身。岡山大学農学部卒業後、78年、三共(現・第一三共)に入社。営業職を経て、同ヘルスケア製品戦略部長に。2006年、第一三共ヘルスケア・製品戦略本部長、取締役営業本部長などを経て、12年より現職。

構成=歌代幸子 撮影=国府田利光