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【田中】(現代の結婚観に関して)難しいのは、「関心がない」という人が確かに一定数いるのは事実なんです、恋愛にしても結婚にしても。それはちょっと昔とは違いますよね。

【川崎】それはやっぱり、結婚するより楽しいものがいっぱいあるからですか?

【田中】どうでしょうね? 一概には言えないんですけど、誰もが結婚していた時代のほうが少しおかしかったのかもしれない。「恋愛してないと変だ」とか「結婚していないと変だ」という“規範”が緩んだこと自体は、いいことなのかもしれません。結婚した結果として、みんなが幸せになっているわけではないですから。結婚してもうまくいっていない方や、もう離婚されている方もいますしね。

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「誰もが結婚していた時代のほうが少しおかしかったのかもしれない」――これは、冒頭の出雲大社にて、私が持ち前の悪趣味全開でひとさまの絵馬を舐めるように読んで回っていたときに脳裏によぎったことでもある。「◯◯くんと結婚できますように」「◯◯さんが幸せになれますように」「我が家の娘に良いお婿さんが来てくれますように」。そんな風にして「結婚=幸福」の大正義、大前提のもとで展開される微笑ましい絵馬の書き文字を眺めながらぼんやりと思ったのは、

「ケッコンって、そんなにオールマイティなアクセサリだっけ?」

この絵馬たちに書かれている「ケッコン」って、まるでファイナルファンタジーの「キューソネコカミ」みたいだなと思った。ひとたび使えば、ゲームバランスを無視しそれまでの文脈を粉々に砕く強さ。たとえ瀕死であっても、「キューソネコカミ」さえあれば、全ダメージと回復量が9999になるのだ。ケッコンさえすれば、「窮鼠猫を噛む」の言葉通り、それまでがどんなこてんぱんな人生だったとしても下克上し「それからみんな、ずっと幸せに暮らしましたとさ」ですか? いやいや、ケッコンはゴールじゃなくてスタートですよ、”何か”の。まぁそれが何なのかは、人によるんですけれどもね……。

ケッコンは、それさえあればあなたの現状のあらゆる悩みを解決してくれるオールマイティな呪文でも魔法薬でも装備でもなんでもなくて、さまざまな形と表情を持つ“状況”“状態”の呼称にすぎないのだと思う。レンアイも、究極的には脳において化学反応があれこれ起きた結果の“状態”の1つだと最近は思うようになった。そうでなかったら、どうしてあんな不自由なことをわざわざするだろうか? と、好感度の高い某ハーフタレントと、某バンドフロントマン(新婚)の不倫スキャンダル報道を目の端で見ながら独りごちるのである。