女には、女である自分自身や、他の女にまつわるさまざまな感情がある。女子校育ち、演劇部男役出身、欧州2カ国での子育てを経験したコラムニスト・河崎環さんによる「WOMAN」について考えるコラム連載、スタートです。初回は「赤い口紅の救い」について。

コラムニスト・河崎環さん

ひとまず外側から自己紹介すると、私は「女」という種類の体の入れ物に入っている。でも多分日本人女性としては結構大きいほうで、身長も166センチだし靴は25.5センチだから、欧米で暮らしている時は天国だったけれど、日本に帰国してからは何かとつんつるてんだ。実名で15年間つらつらと物書きを続けてきた個人事業主であると同時に妻であり、2児の母でもあり、そんな生活も20年になる。親から見れば娘であり、弟からすれば姉であり、夫の両親から見たら嫁だ。……初めまして、河崎環と申します。1人の女にも、いろんな役割があるもんです。

ただ、自分が女であることを強く意識し始めたのは、20代前半で出産してからだ。身体的のみならず精神的にも、否定したくともし難く、あぁ自分は結構ちゃんと女なんだと思った。産む性ならではの強靭(きょうじん)さや大胆さ、あるいはしぶとさや厚顔さを、自分の中に発見した。でも、同時に世間に期待される「女としての(あるべき)姿」に辟易(へきえき)もし始めた。

学生時代の私は、現代の典型的な女子校出身者メンタルの持ち主で、能力に男女差などない、むしろ女子のほうが男子よりポテンシャルがあって優秀、と豪語してはばからないゴリゴリ女子だった。東大合格者数日本一という超絶女子進学校で、しかも誤った宝塚的倒錯を起こさせてしまう演劇部などに入り、歌って踊る男役までやってしまった。女子にモテるという奇妙な十字架を背負った上、さらに20歳前後で男女関係なく能力主義(という名目)の米国のリベラルなアカデミックライフにかぶれてしまったのもよくなかった。最先端の思想と技術を操り、アグレッシブでアサーティブなのがクールでロックと信じ、当時流行りのグランジファッションをズルズル着て、口を開けば「米国では~」が口癖。そりゃもう生意気盛りアホ盛りでございました。

しかしながら「世間は共学である」。“女は三歩下がって”が大好きな日本社会において、そんな女は大変に日本男児に受けがよろしくない。日本での大学時代、研究室を見学に来ていた一流企業のおじさま方に技術プレゼンをしてみせる機会があったけれど、滔々(とうとう)としゃべり終えたドヤ顔の私を待っていたのは、おじさまからの「キミいくつ? ハタチ? へぇ、偉いんだねぇ、キミ」というキツーい皮肉。日本を代表する大企業の部長たる「偉いひと」を、想定レベルに見合った丁重さで扱えない小娘を非難する視線と口調に、当の生意気で無知な小娘は世間の洗礼をようやく受けたのだ。

さらに結婚・出産後に私を待ち構えていたのは、反権威主義で左寄りの家庭に育った私が教えられてきたリベラルな理想の女性像と自分自身との乖離(かいり)。あれ……? 「頑張ったらどんな女の人でも偉くなれる」って教えられてきたけれど、周りを見渡すと、どうもそうは見えない。賢ければ仕事も家庭もあれもこれも全部の幸せが手に入ると信じてきたけれど、あれもこれもは手に入らなくて、それは私が賢くないからなんだと自分を責め、でも、そうやって悩み苦しんでいるのは、どうやら私1人ではなさそうだった。世間に期待される定型にはまらないというのは、勇気のいることだ。新しい型を作るのも、労力のいる作業だ。

だから、「女であること」に悔しさと誇り、愛着と嫌悪を、等分に感じてやってきた。読者諸姉にもそんな感情は理解してもらえるのではないか。そして自らが女性でありながら、女性に対してどこか不思議な距離感を持ってきた。友人へ、先生へ、母へ、先輩後輩へ、同僚やライバルへ、ひょっとして娘へ、あらゆる女性に、同じ女性だからこそ「なぜこの人はこの人生を選ぶのだろう」と考えながら。

女が嫌いだ。それと同じくらい、女が好きだ。