天皇家の中心に愛子さまを据える動向
ヒントは、この展覧会を「オランダ王国大使館」が後援していることにある。
国会では改正皇室典範が成立したが、それは国民が望む女性天皇や女系天皇に道を開くものにはならなかった。むしろ、そうした可能性を封じることが、改正案に盛り込まれた旧宮家からの養子案の目的でもあった。
これによって、「愛子天皇」実現への道は、これまで以上に難しいものになった。
ただし、天皇が養子案に賛同していないと受け取れる動きがあり、秋篠宮がそれに同調した。これで、〈それでも麻生太郎は無視し続けるのか…島田裕巳「欧州最後の“男子限定”陥落が示す“愛子天皇”の現実味」〉で述べたように、養子案を機能させることは実質的に困難になったわけだが、愛子内親王を天皇家の中心に据えようとする方向で動いていることが、ここのところ、ますますはっきりとしてきた。
順を追って見てみよう。
8月1日から2日にかけて、愛子内親王は三重の伊勢神宮を訪れた。伊勢神宮では、内宮に皇室の祖先神とされる天照大御神を祀っている。その点で、皇室との縁は深い。伊勢神宮では、20年に1度、「式年遷宮」が行われ、社殿や神宝が一新される。それは、伊勢神宮にとって最も重要な行事である。
「天皇の後継者」を思わせる愛子さまの姿
次の式年遷宮は2033年に予定されており、その準備は昨年から始まった。愛子内親王は、今回、社殿に用いる木材に宮大工が印を付ける「墨掛け」の作業や、内宮近くの五十鈴川で行われた「川曳」を見学している。
その際に木遣り唄がうたわれたが、その中には、「敬宮さま 二十歳ごとの 神の御柱 曳き給う」と、愛子内親王の御称号「敬宮」が詠み込まれていた。現在の天皇も、1987年に川曳を見学しているが、そのときにも、御称号「浩宮」を詠み込んだ木遣り唄がうたわれた。
さらに愛子内親王は、川から引き上げられた木を曳く「御木曳」にも法被姿で参加している。2007年には、天皇も同じく法被姿でそれに参加している(FNNプライムオンライン8月9日放送)。
愛子内親王は、天皇が行ったのと全く同じことを、今回行った。それはまさに、天皇の後継者を思わせる姿である。