大人目線の「便利」が学びを阻害する
“広く浅く”では、学びは深まりません。ネット利用の「調べ学習」もそうですが、たくさんの情報に触れさせるということが、実は学習自体を阻害することになります。
さらにデジタル教科書のリンクはネット検索とともに情報過多となり、自分で考える前に調べるようになります。しかも端末で完結しがちなので、紙のノートを使わなくなり、「書き写して覚える」こと、メモを取る能力、書字の能力にまで影響が及ぶことが予想されます。
書字のレベルでは、「かな漢字変換」に頼ることで簡単な漢字すら書けなくなり、語彙選択のレベルでは「予測変換」に頼って同じ表現や定型文を繰り返すことになります。
さらに要点把握のレベルでは、キーボードの高速入力が災いして、要点を絞ることなく受動的にすべてをタイプするようになってしまいます。デジタル機器では雑に書いた後の編集機能に頼る分、文脈を正しく想定できないと構成がおろそかになってしまいます。
このように、便利だと思って大人が与えようとするデジタル機器は、ほぼすべて裏目に出る可能性が高いのです。ですから、「デジタル化でより便利な授業になる」などと期待しすぎてはいけません。
「ハンデを抱える子への支援」の声もあるが…
ハンデを抱えている子どもたちへの支援として、デジタル機器が活用される例もありますが、そのような場合も、十全な効果を生んでいるか検証が必要です。たとえば、「音声化のオプションが有効」という人がいますが、音声教材に求められることを知らずに、人工音声による読み上げがあれば十分だと考えがちです。
本書で繰り返し触れてきたように、人間の言語音には、抑揚や言葉の切り方といった重要な情報が含まれています。たとえば、「あなたと私の友達」という表現は、「あなた」と「私の友達」という二人を指しているのか、「あなたと私の共通の友達」という一人を指しているのか、区切る場所によって意味がまったく異なります。意味を解さない人工音声にその区別はできません。朗読は簡単に機械化できるものではないのです。

