心を抉るような夫の裏切り

湯川さんは40歳で高齢出産をしており、15年ほど仕事と子育てに追われる毎日を送った。仕事が大好きでたまらない湯川さんは、日中は小学校の校長もした義父の手を借りるなどして仕事に出かけ、帰宅後も常に原稿の締切りに追われていた。お手伝いさんにも助けてもらったが、家にいる間は朝食をつくって子どもを送り出した。家事・育児に夫はまったく協力的ではなかったのが、いかにも昭和的。子どもをおんぶし、地味なひっつめ髪で仕事をしている当時の写真が残っており、そこには世間がイメージする華麗な“湯川れい子”の姿はない。

仕事でも家庭でも、苦しいことはたくさんあったはずだが、音楽の仕事に邁進した。プレスリーやビートルズ以外にも、ローリング・ストーンズ、マイケル・ジャクソン、マドンナ、フリオ・イグレシアスといったポップスターたちにインタビューをしては記事を書き、スターたちの知られざる素顔に触れている。音楽評論家として名声を欲しいままにし、作詞家としても大成功を収めた。冒頭のように、“湯川れい子”はすべてを持っている稀有な女性なのだ。

「幸せな人生ですよね?」と問うたところ、湯川さんは、一瞬間を置いて、「うーん……」と答えを濁した。

「60歳近くになって、夫がある日、置き手紙をして家を出てしまったんです。『助けてください。子どもができました』と。でも、前日の夜まで、私たちは仲良く手をつないで散歩していたんですよ。何がなんだかわからないまま、私と息子は取り残されました。しかも6億円もの借金を残されて……」

実業家だった夫は、バブルの崩壊で事業に失敗して多額の借金をつくったうえに、よその女性との間に子どもまでもうけていた。世界で一番愛し合っている夫婦だと思っていたが、一夜にしてそれは幻想に過ぎなかったことがわかった。借金返済のために自宅は競売にかけられ、経済的な困窮にも陥った。何より思春期の息子へのダメージが心配だった。

さすがの湯川さんも呆然自失状態だったかと思いきや、大好きな仕事に向き合っている時は嫌なことを忘れられたし、夫の両親(義両親)が湯川さんと息子(孫)を支えてくれた。完全に立ち直るまでには時間はかかったが、前向きに生きることができたそうだ。「でもね。多かれ少なかれ、生きていれば人は誰しも地獄を抱えているのではないでしょうか?」としみじみと語る。

「誰もが地獄を抱えているのでは」と語る、湯川れい子さん。
撮影=田子芙蓉
「誰もが地獄を抱えているのでは」と語る、湯川れい子さん。

しかし夫とはそれから30年後には、“親友”として関係を復活させた。夫は再婚相手とも別れて、30年ほど一人暮らしになり、最期は、息子とともに湯川さんが親友としての夫を看取ったという。今は彼が残した会社の顧問にも就任している。

「結局、私は彼を嫌いになれなかったんですね。やっぱり心底好きだったのだと思います」

亡くなった元夫に対して愛情を込めて、「元旦那」を省略して“元旦ちゃん”と呼ぶ。なんという愛の深さ、懐の深さなのだろう。