「いい子」を演じていても、いずれ壊れる
【内田】今は親子の距離が近づき過ぎているんだと思います。子どもが「本当の自分」を親に承認されたいと願っているというのは、一つのイデオロギーだと思います。もし「本当の自分」なるものが仮にあったとしても、それは複雑怪奇などろどろしたもの、子ども自身が長い時間をかけてゆっくりと統御して馴致させるべき「謎」なんです。そんなものに他人がうかつに手を突っ込むべきじゃない。
「抑圧されたものは症状として回帰する」というフロイト(※3)の名言がありますが、思春期の子どもたちの奥底にはさまざまな「社会的に承認しがたい欲動」がうごめいています。そういうものは「あるけど、ない」ことにして、そっとしておいたほうがいい。
「反抗期がない子ども」というのは、その欲動とうまく対応できないで、それを心の奥底に押し込めてしまっているのだと思います。その時は「いい子」を演じていても、いずれ壊れる。どこかで必ず壊れます。
心の中には「暗部」があって当然
【高部】場合によってはハッカーになる可能性もあるわけですね。
【内田】ハッカーになったり、痴漢になったり、DV夫になったり、レイシストになったり……。抑圧されたものはより病的なかたちで発現してしまうんです。
だから、「公私の区別」というものが、個人の人格の中にもあるということを認めた方がいいと思うんです。対外的に「公私の区別」をするのは当たり前ですけれども、自分自身に対しても「公私の区別」をする。例えば、親や友だちと共有しているのは「公」の部分。それとは別に、ごく少数の友人だけにカミングアウトしている「私」の部分があり、さらに「誰も知らない私」の部分がある。そういうふうに人格が分裂しているのは、別に少しも困ったことじゃないんです。人間て、そういうものなんだから。
それを「本当の自分探し」というようなことを言い出して、心の中の私的な領域にまで、他人がずかずかと踏み込んでくるようになった。それは本来してはいけないことなんです。どんな子どもにも、心の中には誰とも共有できない「暗部」がある。あって当然なんです。そして、別にそれは少しも悪いことじゃない。心の中に何人もの自分がいて、一軒のアパートで共同生活をしているくらいのイメージで自分をとらえていればいいんです。住人の中には誰とでもにこやかに付き合える「いい子」もいるし、気難しくて誰とも口をきかない「頑固者」もいるし、部屋にこもって出てこない「怪しいやつ」もいる。それがみんな「自分」なんだと思っているほうがずっと生きやすい。
3:精神分析学の創始者として知られるオーストリアの心理学者・精神科医のジークムント・フロイト。



