写楽が豊国など他の絵師の別名だったとする説

「写楽=斎藤十郎兵衛」説は決定打と思われるのだが、それでも異を唱える声が百出している。

阿波藩の能楽師に代わって、豊国や歌舞妓堂艶鏡、北斎、歌麿らの浮世絵師、司馬江漢に谷文晁、円山応挙らの絵師、洋風画家の土井有隣たちが写楽の正体に擬せられてきた。蔦重と密接な関係にあったうえ絵師としても卓越した京伝、器用に挿画をこなした十返舎一九も然り。他にも歌舞伎役者の中村此蔵が候補にあがっているし、他ならぬ蔦重までが取り沙汰されている。