「生まれ」による有利・不利

と、さらにここで、次のような意見もありましょう。

勅使川原真衣『学歴社会は誰のため』(PHP新書)
勅使川原真衣『学歴社会は誰のため』(PHP新書)

「いや、逆境にも負けず、自分で道を切り拓ける人もいる」
「経済的な逆境なら、安価な公教育もあるし、奨学金制度だってある。チャンスは『平等』にあったのだから、本人の問題じゃないか」

と。えぇ、さもありなんといった主張です。

しかし、これらの言説についても、教育社会学は毅然として、実証研究をもって反論します。ランダムサンプリングによる大規模調査および精緻化された統計手法の発展により、次のような、世代をまたぐファクトが抽出されました。

(1)学歴はまずもってその人の所得(稼ぎ、もらい)との相関がある
(2)本人の学歴は親から子へと再生産される(親子の学歴に相関がある)

(1)については図表1のとおりです。学歴が高いほど平均賃金も高いのです(ここでは主旨ではありませんから男女格差については言及しません)。

【図表1】学歴別・男女別平均賃金(2023年)
出典=『学歴社会は誰のため』(PHP新書)

そして問題は(2)。大卒の親の子供は大卒に、非大卒の親の子供は非大卒になるという、いわゆる親子の「学歴再生産」の傾向が、実証的に示されています。『教育格差 階層・地域・学歴』の松岡亮二氏の見解を参照しましょう。

【図表2】親と子ども(短大卒以上の女性)の学歴の相関
出典=『学歴社会は誰のため』(PHP新書)

(1)と合わせて考えると、賃金の傾向は学歴を媒介して世代を超えて再生産されやすいのです。極端な言い方をすれば、高学歴でハイソ(ハイソサエティ=上流の)、裕福な子はやはりそのハイソな界隈で裕福になりやすい。家が貧しいと、なかなか実家以上の暮らしになりにくい、というわけです。

学校は「平等に機会を与える場所」のはずなのに

その配分装置が、平等に機会を与えるとされている学校教育であることが特筆事項です。そこを媒介して、あたかも正当に「能力」を測ったと見せて、職業へと振り分けていく学校。これでは、生まれの違いが解消されないどころか不問に付されたまま。ゆえにその結果にはさらなる差が生まれます。そしてそれは世代を超えて、

「もともとラッキーな人はさらに強くしてもらい、もともと社会的なリソースが不足がちな人も、同等のチャンスはあげたのだからあとは頑張ってなんとかしなさいよ」

──で済まされてしまう。松岡氏が『教育格差』で述べたとおり、

「この社会に、出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件(生まれ)によって教育機会の格差がある(中略)この機会の多寡は最終学歴に繫がり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる。つまり、20代前半でほぼ確定する学歴で、その後の人生が大きく制約される現実が日本にはあるのだ」というわけです。