皇室で和装より洋装が格上となった理由

ところが、平安時代に入ると、唐の国内が乱れるようになり、遣唐大使に任命された菅原道真は、遣唐使の廃止を提言し、自らも唐にはおもむかなかった。これで、正式に遣唐使が廃止されたわけではないのだが、これ以降の日本社会では、独自の「国風文化」が栄えることになる。

服装に関しても、湿気の多い日本の気候や、室内で座るという生活様式にあわせて、着物の原型となる「小袖こそで」が開発されていった。通気性が重視され、着脱が容易なものに改良されていったのである。それによって、日本の服装文化は、中国とはかなり異なるものとなった。だからこそ、着物は日本独自のものとなったのである。