「加冠の儀」に臨む悠仁親王
今後、皇位継承の可能性がもっとも高いと考えられる悠仁親王の「成年式」の準備が進んでいる。
成年式が行われるのは、悠仁親王が19歳を迎える9月6日である。8日には三重県の伊勢神宮と奈良県の神武天皇陵に参拝し、9日には東京の八王子市にある昭和天皇の陵を参拝する。これは大きな注目を集めることになるだろう。なにしろ、男性皇族の成年式は、父親の秋篠宮以来40年ぶりのことだからである。
当日の朝、悠仁親王は、天皇の使いから成年用の冠を受け取る。午前中には皇居の宮殿に古式ゆかしい装束姿で現れ、未成年用の冠から成年用に付け替える「加冠の儀」に臨む。その後、儀式用の馬車で移動し、宮中三殿を参拝する。
午後には、燕尾服に着替え、天皇皇后に挨拶する「朝見の儀」に臨み、天皇から直接、「大勲位菊花大綬章」を授与される。これは最高位の勲章で、戦後は親王に与えられるとともに、代々の首相経験者にはその没後に与えられてきたものである。
夜には秋篠宮夫妻の主催で皇族や元皇族などを招き、私的な夕食会が都内の民間施設で行われる。そこに、アメリカに滞在している小室圭・眞子夫妻が参列するかどうかに注目が集まったが、今回それはないようだ。
こうした成年式は、昔は「元服」と呼ばれており、やはり加冠の儀がその中心だった。衣服や冠を改めることは成年に達したことの証しであり、皇族にとっては極めて重要な「通過儀礼」の一つである。
女性皇族の成年の証しはティアラ
では、女性皇族の場合はどうなのだろうか。元服にあたるのが「裳着」である。裳とは、十二単の一部で、後方に長く引きずるスカート状のものを指す。裳着では初めてそれを身に着けるのだ。
裳着の前には「髪上げ」があり、それまで垂らしていた髪を結い上げ、成人女性の髪型へと改める。時代によっては、「お歯黒」で歯を染め、眉を剃り落として新たに描く「引眉」も行われた。こうした裳着は12歳から14歳くらいに行われ、結婚の準備ができたことを示すものだった。
ところが、明治時代になると、政府は欧米の近代国家に倣って宮中の儀式における皇族の装束を洋式に改めた。これにより、十二単に代表される和装の儀式は廃れ、女性皇族の正装は、「ローブ・デコルテ」と呼ばれる西洋風のロングドレスが基本となった。これによって、裳着は行われなくなったのである。
そこで、裳に代わる新たな成年の証しとして導入されたのが、勲章と「ティアラ」であった。これも欧州の王室文化に倣ってのことで、勲章としては「宝冠大綬章」が授与される。