まさかの大学リーグ2部落ちという試練
子どものときから自由に育てられた。父親は岐阜大学教育学部名誉教授の小井土由光。火山の研究者で地質学が専門だ。サッカーの練習や大会時は黙って送り迎えをし、母親とともに無条件に応援してくれた。岐阜県立各務原高校時代に全国大会ベスト8に入り筑波大のスポーツ推薦を受験した際も、小井土がやることに一度も口を挟まなかった。
そんな育ち方をした小井土は、選手の主体性に任せたかった。しかし……、カリスマ的リーダーが評価される空気が残る当時は、迷いを吹っ切れなかった。
「選手たちの本当の意思、本当のエネルギーを引っ張り出せなかった」と悔いる。
関東学生リーグでまさかの2部落ちを喫した。前身の東京高等師範学校、東京教育大学から数えても戦後初。関東大学リーグの優勝回数は1位の早稲田大学(27回)に次ぐ2位(16回)で、唯一2部降格経験を持たなかった名門校の歴史を変えてしまった。最悪のスタートだった。折りしもその2年後、2016年は創部120年にあたる。小井土は何ら語らないが、想像を絶するプレッシャーだったはずだ。
ところが、小井土は開き直った。
「いろんなものを変えても、今なら誰からも文句を言われない。自分自身の価値観も含めすべてを大きく変えなければ、このままズルズルと下の下まで落ちる」
強い危機感があった。晴れて正式に監督となり、2015年度が始動する際のミーティングで部員に「みんなでやろう」と呼びかけた。
「俺も一生懸命やる。だからもう一度、みんなでつくっていく組織にしよう。俺の知ってる蹴球部はそういう組織だった」
キャプテンの早川とトレーニング内容を相談
コン、コン。スタッフミーティングをしていた部屋に、ノックの音が響いた。ドアを開けると、キャプテンになった早川史哉が立っていた。
「トレーニングの打ち合わせに、一緒に参加させてくれませんか」
早川の反応が嬉しかった。小井土は快く招き入れた。もともと賢い選手ではあったが、じっくり話すと早川の頭の回転の速さ、仲間の好不調にいち早く気づく感性や能力は際立っていた。サッカーの戦術理解も鋭いため、早川がミーティングに入ることでトレーニングのオーガナイズがしやすくなった。小井土の研究室にある本を「これ、貸してください」と持ち帰っては感想を言ってくれる。学ぶ意識が高かった。小井土が「俺はこう思う」と伝えると、「僕はこう思っています」と違う意見も臆せず口にした。早川は丸々1年間、ミーティングに参加し続けた。
その年から、セルフマネージメントシートの取り組みを始めた。
「みんなの決意も知りたいし、コミュニケーションも取りたい」と伝えた。一人ひとりの意識が明らかに変わっていく様子を実感できた。


