音大生となって全国の小、中、高校に演奏旅行の毎日

音楽人生の始まりは、5歳のとき。琴と三味線の師匠である母親のもとで琴を始め、音楽大学への進学を決めた高校2年までやり続けた。父は医者で、父の身内は医者が多かったが、声楽家として大成した、変わり種の叔父もいた。

日本の声楽家の草分け・叔父の奥田良三氏(右)と娘の惣永さんとともに。1981年。
写真提供=三部安紀子さん
日本の声楽家の草分け・叔父の奥田良三氏(右)と娘の惣永さんとともに。1981年。

「小学校の担任が作曲家だったり、中学校は歌の専門家だったりと、恵まれていた環境だったと思います。高校は、コーラス部で歌っていました。邦楽はずっとやっていたのですが、和物の世界の大変さを感じていたので、母の跡を継がないと決めて、高校2年で進路を歌に定めました。受験のための曲だけを勉強して、武蔵野音楽大学に入りました。そこで、出会ったのが主人です。彼はバリトン、私はメゾソプラノ、同じ門下生でした」