メディアが広める用意された「感動」

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2012年の高視聴率は10位中7番組がサッカー

ワールドカップ応援の熱狂とメディアの関係を考える上で重要になる第3の要素は、このドラマチックな番組演出に関わっている。「テレビ離れ」が進んでいるとも言われる昨今、なぜワールドカップの中継はこれほどまでに熱狂と感動を呼び起こすのか。

様々な要因が考えられるが、メディアの演出の問題に着目するならば、ワールドカップが「感動」を共有するためのメディア・イベントになっているという点を指摘しておくべきだろう。メディア・イベントとは「メディアで伝えられるために仕掛けられた現実のイベント」のことだ。

おおむね1960年代まで、マスコミ研究の中では「メディアは現実の世界を都合よく切り取って、現実のイメージをねじ曲げてしまう」という主張が強かった。実際、いまも昔もそうした例は存在する。だがメディア・イベントはそのような「にせものの現実」とは異なる。試合は実際に行われているし、サポーターたちの応援も「仕込み」などではない。だが、試合中継であるにもかかわらず、サポーターたちの歓声や鳴り物の音はカットされるどころか、より目立つように音声処理を施されている。試合開始前からスタジオでは、出演者たちがその試合の重要さをしきりに強調する。そして、スタジアムだけでなく各地で応援するサポーターたちの姿が放送され、「みんなの気持ちはひとつ」であることが示される。すべて嘘ではないが、試合というイベントのために用意された出来事であり、試合がメディアで報じられることと一体の出来事なのである。

近年、メディアを通して広められる「感動」には、このような「メディアのために用意された現実」がもたらすものが目立つ。今回の試合中継に合わせて放送されたCMに、一般の人の「夢を叶える」という企画があったが、これなどは典型的なメディア・イベントだと言えるだろう。一般人がアクションスターに扮したこのCM、確かに撮影は現実に行われ、実際にその人の夢は叶ったのだが、それは悪く言えばCMのためにお膳立てされた現実に過ぎない。しかしそれにもかかわらず、私たちはその姿に感動するのである。