彼らが手を挙げたからこそ

12月6日夜の東京見物その2。新丸ビルにて。

「ぼくは、自分が一番になりたいと思ったところで一番になっているんです。中学生のころ、ずっとオンラインゲームにはまっていたんです。全国で1位になりました。それぐらいやってました。今思えば、勉強に時間使えばよかったかなと思いますけど(笑)。ただ、熱中したら、ほんとうに何も食わずにやってました。あれは、自分がひとつの事に没頭できて勝てるんだという自信になってます。そのころから、英語だけは好きで、中学校では必ず1番になってて、高校でもそうだったので、自分がやりたいと思ったことでは1番になる——ということは、やってきたと思います」

「TOMODACHI~」のテーマはリーダーシップでした。3週間の体験は、菅野さんの将来に役立ちそうですか。

「自分は学校で生徒会長を経験していたんですが、今回、グループの中で班長みたいなかんじになって、自分がある程度頑張ればできるんだという自信はかなり付きました。ひとを動かして大きなことをする——こういうことが自分はやっぱりしたいんだということに、あらためて気づきました」

学校で生徒会長として「笛吹けど踊らず」の大人数を動かすほうがたいへんじゃないですか。

「ああ、それもあるかと思うんですけど、何かを成し遂げたいと強く思っている人たちをまとめてひとつの方向に向かわせることって、学校でやってることとはまた違う。自分が生徒会長をやりたいと思ったのは、組織を動かす経験をしたいと思ったからなんですけど、もっと高いレベルで、より大きなことができるんだと思いました。自分が企業をつくったら、何かをやりたいという意識の強い人を雇いますから、学校でやるよりもアメリカでやったことのほうが近かったと思います」

「起業してことを起こすということは、菅野さんの中ではもう当事者問題なんですね」という問いに、彼はしごく当然という表情で「そうです」と答えた。すでに起業家の雰囲気がある。起業家という人種は、自分が「熱いことば」とやらを吐いているという意識などない。当人にはそれがあたりまえのことだからだ。「熱さ」は起業家の頭の中にあり、行動で示されたときにようやく人はその温度に気づく。「熱さ」云々を語るのは、起業家の追随者や周辺にいる者であり、当人はときに冷淡に見えるほどにクールだ。

そして菅野さんたちは、その実例と対面することになる。時間を少しだけ巻き戻す。

11月26日月曜日午後5時59分、「TOMODACHIサマー2012ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」参加者グループのFacebook上で、「Cloudforce Japan」の参加者募集が行われた。岩手・宮城・福島各県先着2名まで。1分後、最初に「行きたいです!」と手を挙げたのが菅野さんだった。枠はすぐに埋まった。勝又健志さんが言う。

「ぼくが手を挙げたとき、岩手の3人目だったんです。惜しかったなと思ってたら、そのあと各県1名追加になって、行くことができたんです」

「汐留の幸運」がここから始まる。12月6日、東北新幹線に乗って上京した勝又さんはひとつ忘れ物をした。入場するためには、メールで送られてきた入場券のバーコードをプリントアウトして持っていく必要があった。それを忘れたことに気づいた勝又さんは、ソフトバンク復興支援室の堀田真代さん(「TOMODACHI〜」の担当者)に連絡を入れる。堀田さんは「ソフトバンクの本社でプリントしよう」と提案。勝又さんは新橋駅で堀田さんと合流し、汐留のソフトバンクへと向かう。

招待されているトークセッションの開始は午後3時半。まだ時間の余裕があった。勝又さんは堀田さんの案内で社内見学をする。

勝又「途中でぼくが『孫さんいますか?』って聞いたんですよ。堀田さんは『そういや今日いらっしゃるね』って言って。そのとき堀田さんが、孫さんに会わせればいいんだって思いついて」

堀田さんは急いで社内調整をしつつ、東京に来ている残り8人の高校生に連絡を入れ始める。

勝又「でも、最初は、やっぱり会えないということになって。ぼくも諦めて、汐留駅からゆりかもめに乗ってビッグサイトに向かったんです。途中まで行ったら堀田さんから連絡が入って——」

(明日に続く)

【関連記事】
300人の孫正義-81-東北から西北へ
「絆ビジネス」は日本を救う小さな巨人になる
孫正義「300年間成長し続ける会社」の条件
なぜ若者は被災地に移住したのか?[第1回]
柳井正VS孫正義 特別対談「起業は50代からがいい!」(1)