生き延びた貴族に降りかかる相続税

ジェントルマン階級の子弟は士官学校の出身者も多くいたため、従軍時には年齢に応じて陸軍では中佐以下の将校クラスとなり、彼らは前線で自ら隊を率いて、突撃する場合が多かった。

1914年の数字では、一般兵士の死亡率が17人に1人(5.9%)であったのに対し、貴族出身の将校の死亡率は7人に1人(14%)にも達していた。4年にもわたった大戦全体では、イギリス軍の全体の平均が8人に1人という戦死者の比率であり、貴族とその子弟に限るとそれは5人に1人という数字になったのである。

第一次世界大戦はイギリス側の勝利で終わったものの、帰国した爵位貴族出身の将校らを待ち受けていたのが、いまや40%にも達していた莫大ばくだいな相続税であった。特に当主や世継ぎに戦死者を出した貴族には大変な災禍をもたらした。

「地主貴族=大富豪」の構図が崩れた

大戦後には、土地価格の高騰とも相まって、多くの地主貴族階級が自身の土地を手放すことにつながった。大戦をはさんだ1910年から22年にかけての時期だけで、国土の半分近くにも及ぶ土地の所有者が変わってしまったといわれている。もはや地主貴族階級は大富豪の代名詞ではなくなった。

19世紀(1809~79年)までは百万長者のうち実に88%が地主貴族で占められていたのが、1914年までにそれは33%にまで減少し、大戦とともにその比率はさらに下がっていった。

貴族たちが影響力を減退させたのは経済の側面だけではなかった。第一次世界大戦は、先にも述べたとおり、ナポレオン戦争のときのような職業軍人と義勇兵だけの戦争では済まされなくなっていた。イギリスでも史上初めて「徴兵制」を導入して(1916年)、18歳から41歳までの五体満足な成年男子はすべて戦場に向かわされた。さらに彼らの多くがこれまで担ってきた工場等での労働は、女性たちに託されることになった。