第一次世界大戦で多くの貴族が戦死

こうした情況にさらに追い打ちをかけたのが、人民予算の成立からわずか4年後に生じた第一次世界大戦(1914~18年)であった。当初は、バルカン半島をめぐるオーストリアとセルビアの衝突に過ぎなかったものが、様々な問題が重なり、ついにヨーロッパ五大国のすべてを巻き込む大戦争へと発展した。

剣を持つ兵士のイメージ
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これら五大国が参戦した最後の戦争は、これより1世紀前のナポレオン戦争(1800~15年)にまでさかのぼることができる。このときも戦争は断続的にヨーロッパ全土で生じ、多大なる犠牲者を出していた。しかしこの時代の戦争は、各国の貴族や上流階級からなるプロの陸海軍人(将校)と義勇兵が主体であり、極端な言い方をすれば、国民の数%程度しか実際の戦闘には関わっていなかった。

ところが時代は大きく変わっていたのだ。この100年ほどのあいだに兵器の殺傷能力は比べものにならない程までに上がっていた。機関銃、速射砲、毒ガス、装甲艦(鋼鉄で覆われた戦艦)、潜水艦、魚雷、飛行機など、戦場に駆けつけた兵士たちはあっという間に命を失い、本国にさらなる兵力を要求してきた。

両軍は戦場に塹壕を掘り、敵軍が疲弊するのを待ってから前進した。戦闘は長期化・泥沼化した。「今年(1914年)のクリスマスまでには終わるだろう」などと楽観視していた将校も兵士たちも、4度のクリスマスを塹壕で過ごさなければならなくなった。

「華やかな甲冑をまとった騎士道精神」などなかった

ただし、それは運がよければの話である。戦争が開始したばかりのとき、多くの将兵らは機関銃や砲弾で命を落とした。特に最初の4カ月(1914年8~12月)だけで、イギリスは爵位貴族6人、准男爵16人、貴族の子弟95人、准男爵の子弟82人を失った。それは戦場に駆けつけた地主貴族階級の成年男子の18.95%にも及んだのである。

彼らジェントルマン階級の成年男子らは、中世以来の「高貴なるものの責務(ノブレス・オブリージュ)」の精神を信じ、大戦勃発と同時に真っ先に戦場に駆けつけた。しかし、彼らを待ち受けていたのは、中世以来の華やかな甲冑かっちゅうを身にまとった騎士道精神などではなく、相手を無情にも大量に殺戮できる機関銃や砲弾だったのだ。