「何を良しとするのか」を再定義する

ただ、そうやって論点を単一化して局所最適を図ることで未来に回されてきたツケが、そろそろコップの限界まで近づきつつあるということに気がついたのが、「ここではないどこかへ」という気分の正体の1つではないでしょうか?

「問いが複雑すぎて、ここではないどこかへと感じる」
「でも複雑さから逃げて極論に走ると、何かが見すごされ、こぼれていく」
「そこで見すごされた感情がさらに“ ここではないどこかへ” と感じさせる……」。

SDGsやDE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)、ウェルビーイングなど、すべての人がより生きやすい社会の実現のためにさまざまな「社会運営のコンセプト」が生まれてきたこととも付合します。

全体最適で考えようとすると、自ずとその課題は多変量的になるし、「課題が複雑で難しすぎる!」と感じられるということは、それだけ人類がその課題を「ちゃんと解こうとしている証拠」ともいえます。

自分の担当領域や専門性、日常から実際に見えている風景を超えて、想像力を働かせて全体観をつかもうとすることは、「情報が多すぎて」「テクノロジーが速すぎた」結果、うながされてここまできた人類の進歩のポジティブな側面ともいえます。

高度に複雑な難しい課題を、全体観をもって解くために、何を道しるべにするべきなのか? 「売上」「応募者数」「人気ランキング」といった既存の変数を単一化して追い求めるのではなく、そもそも「何を良しとするのか」を再定義することが、適応課題の時代には必要で、それこそが「ここではないどこか」へ行くためのまず最初に必要になる態度なのでしょう。

世界一幸せだった国・ブータンの幸福度が急落した理由

5.「らしさ」が揺らぎすぎる

若者の研究者として日々、大学生と会う中で、就職活動の相談を受けることも少なくないのですが、ある1人の学生からこんな悩みを打ち明けられたことがあります。

彼はいわゆる体育会に所属していて、そこで副将として部を率いて大会に向けて練習に励む精悍せいかんな青年でした。ですが、競技に打ち込む一方で、「こんなことばかりしていて果たして自分の将来は大丈夫なのか?」と、とても不安になることがあるというのです。競技に夢中に打ち込み、副将としてリーダーシップ経験も積み、大会でも成果をあげているのにもかかわらず、です。

吉田将英『コンセプト・センス 正解のない時代の答えのつくりかた』(WAVE出版)
吉田将英『コンセプト・センス 正解のない時代の答えのつくりかた』(WAVE出版)

その不安がどこから来るのか尋ねてみると、「高校のときのどうしようもない悪友が、シリコンバレーの企業でサマーインターンをしているのをSNSで見てしまったから」と。あいつが就活につながるインターンをしているのに、自分は毎日ボールばっかり追いかけていて、何の役に立つのか、空恐ろしくなる瞬間があるというのです。

彼の声に象徴されるような「果たして、今の自分の“自分らしさ”は、大丈夫なんだろうか?」という不安は、そこかしこで実際の声として聞きます。これは決して若者だけに限った話ではなく、経営者も部長も、ビジネスで企画をするすべての人が多かれ少なかれ、時代の空気から感じてしまうことなのではないでしょうか?

それは「自分自体のらしさ」だけではなく、自分が従事しているプロジェクトやチーム、企業、時間の使い方、すべてにおいて「自分らしさ・そのものごとらしさ」が、相対化されすぎるがゆえに揺らいでしまう現象で、「アイデンティティ・クライシス」ともいわれます。もっと社会が狭く、比べる対象が少なかったかつては、こんなことは社会問題になっていなかったはずです。

現に、かつて「国民総幸福量」で世界的に注目されていたブータンが最近は幸福度ランキングの上位からすっかり遠ざかっているのも、当時よりも国外の情報が流入するようになって、「あれ、僕らってもしかして貧しいのでは?」と揺らぎを覚えたからともいわれています。

ブータン・パロ県パロの渓谷高所にあるチベット仏教の寺院・タクツァン僧院
写真=iStock.com/Luigi Farrauto
※写真はイメージです
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