激動の時代を自分らしく生きるにはどうすればいいか。電通コンセプターの吉田将英さんは「自分らしさが揺らぎやすく、何事にも既視感を持ちやすいといった“激動すぎる現代”は無理ゲーが至る所で発生していて、個人も企業もここではないどこかを求める。現実をリセットできないことから、自身の認知を変え、巡り巡って現実を変えるための『コンセプト・センス』がますます重要になってくる」という――。

※本稿は、吉田将英『コンセプト・センス 正解のない時代の答えのつくりかた』(WAVE出版)の一部を再編集したものです。

スーツ姿で草原を走っていく男性
写真=iStock.com/urbancow
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今コンセプトが大事なのは「すぎる時代」だから

ご存じの通り、「コンセプト」は真新しい思考法でも流行りのバズワードでもありません。

普遍的で古典的。何十年も前から使われてきた言葉であり、あらゆる場で耳にする機会があるのではないでしょうか。

ではなぜ今、改めてコンセプトが大事な時代になってきているのか? 一言でいえばそれは、私たちを取り巻くさまざまな要素が「すぎる時代」だから。何がどう「すぎる」のか? 5つの「すぎる」で時代を見てみます。

1.情報が多すぎる

手元にはいつでもスマホがあり、いつでもどこでも何でも見られて聴けて、数十秒で1プレイできてしまうゲームがあり、SNSで何百、何千の人とつながる。そんな「情報が多すぎる」時代を私たちは生きています。

かつて雑誌が若者のトレンドを方向づけていた時代は、情報とは「買って取りに行く」ものでした。でも今はどうでしょう? タダで手に入るのは前提になり、取りに行くどころか勝手に流れ込んできてしまい、それでも多すぎるので、「いらないものを捨てて最適化する」。

かつて若者の代名詞のように扱われていたサプライズも、今や“不確定なことを増やさないでほしい”と敬遠されるようになり、映画やドラマを見る前にネタバレを見るし、あるいは倍速で試聴することで効率を求める人も増えています。

一方で、「何かに追われている感じがいつもしていて、楽しんで見ているわけではなく、“押さえておく”感覚でしかないです」と、実際にプロジェクトでご一緒している大学生が教えてくれました。ここにも何か「ここではないどこか」の一端が見え隠れしているように感じます。

情報が多いということは、企てを生み出す側にとって「選択肢が多すぎて、意思決定が大変になっている」ということです。

情報も選択肢も多すぎて、いつも目移りしていて、何かを決めたところで「もっといい選択肢がある気がする」感覚が常にまとわりついてくる。

実際、僕も仕事でさまざまな企画をクライアントに提案したり、あるいは現場担当者が経営層に上申するサポートをしたりしてきましたが、「ほかにもっといいアイデアはないのか?」というフィードバックは幾度となく見てきました。

結論は「そんなの、あるに決まっている」わけで、その実、意思決定する勇気が持てなくて、“無限の代案探し”にさまよってしまうケースもとても多いです。

情報が多すぎるから、今のままでいいとは思えなくなり、かといって間違いない選択肢を見極める難しさも上がり続け、結果として「ここではないどこかへ」になる。1つ目のすぎるは「情報が多すぎる」です。