稚拙な文章表現を避けるには、どうすればいいのか。医師であり、作家でもある松永正訓さんは「私は『重い病』と『良い病』に注意している」という。松永さんの著書『1文が書ければ2000字の文章は書ける』(日本実業出版社)より、一部を紹介する――。

「形容詞は腐る」

文章の表現技術にはさまざまなものがある。どれがよくて、どれがよくないかは一概に言えない。書き手の好みの問題もあるだろう。ただ、漫然と文章を書くのではなく、どういう表現がいいのか自分なりに考えて深めておくことは非常に重要だろう。

この項では、私がふだん意識して避けている、あるいは慎重に使用している表現についてまとめてみる。

(1)形容詞

以前、ノンフィクション作家の佐野眞一さんにインタビューしたとき、佐野さんから「形容詞は腐る。腐るから使わない」と言われた。

これはノンフィクション文学などにおいて、事実を突きつけて読者を説得する場合には大事な心構えである。ノンフィクションの世界には昔から「説明するな、描写せよ」という言葉もある。この言葉も「形容詞は腐る」と同じ意味を持つ。

「みごとだ」とか「美しい」とかという言葉は説明である。前者は形容動詞だが、佐野さんはこうした情緒的な言葉を「形容詞」と表現しているのだ。

日没時のオレンジ色の空
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では、どう「みごと」で、いかに「美しかった」のか。こうした書き手の主観を書いてもそれは読者には伝わらない。事実で読み手を説得したいのであれば、その「みごと」で「美しい」技を描写する必要がある。

主観ではなく客観的な描写で伝える

具体的には、血管を縛るスピードが通常の手術より速いとか、輸血を必要としないほど出血量が少ないとか、躊躇して手が止まる瞬間がないとか、具体的な教授の手術の姿を描写していくべきである。本書の1章で私は自著を引用し、手術後の子どもの体内で出血が止まらなくなった場面を書いた。

これは描写である。これを「子どもは大変なことになっていた」とか「お腹がすごいことになっていた」と書いてしまえばそれは説明であり、形容詞の表現であろう。そういう文はたちまち腐る。

小説などの文芸作品ではそういった形容詞を用いた表現はあり得るだろうが、ビジネス文書でもブログでも、もし自分に何か意見があって相手の同意を得たいと考えるならば、主観的に説明することよりも事実を描写することが重要である。

また、こうした文章表現をふだんから心がけることで文章が上手になる。これはぜひ意識してほしい。