一流のノンフィクション作家は風景描写に秀でている

文章表現で一番容易なのは、自身の心理描写である。自分のことは自分が一番よく分かっているからである。反対に最も難しいのは風景の描写だと私は考える。

一流のノンフィクション作家は風景描写に秀でている。

部落の何でも屋を通り越したところでタクシーを降り、とっぷりと暮れた四囲にしばらく眼を慣らしてから、川に懸けられた小さな木橋を渡ると、北にきれこむゆるやかな坂道を登りはじめた。右手すこし離れたところに幾軒かの家が点在し、藁屋根の下の表障子が電灯の光で明るくなっていたが、わたしのめざすおサキさんの家の破れ障子はその明度がひときわ低く、昔話に聞く狐狸の家のような感じさえした。
サンダカン八番娼館』山崎朋子/文春文庫

この文章は、「からゆきさん」と呼ばれる海外売春婦を研究する筆者が、天草の田舎に老婆を訪ねていくシーンである。わずか188文字の情景描写によって、筆者の心細さとか、老婆の暮らす家の貧しさとかが、明確に説明されている。その結果、老婆の孤独や哀れさが浮かび上がってくる。こういう文章を書けるように腕を磨きたい。

新聞で頻出する「定型文」

(2)定番の表現

新聞業界には「ナリチュー」という言葉があると聞いた。これは、「成り行きが注目される」の略だそうだ。新聞記事で最後の締めの言葉に困ると、つい「成り行きが注目される」を使ってしまうことがある時期に流行ったそうだ。同じ表現を繰り返し目にすれば、読者は白けてしまう。あるときから業界では「ナリチュー」は禁句のようなものになったらしい。

ただこうした定番の表現は新聞記事を含めて今でもよく見かける。

例えば、インタビューに答えた政治家やスポーツ選手が何かの疑問を口にすると、締めの言葉は「〜と首を傾げる」となっていることが多い。実際にその人物が頭を斜めに倒したのであれば構わないが、これは定型文ではないか。

また、経営に行き詰まったり、天候の影響で作物が十分に採れなかった場合、締めの言葉は「〜と頭を抱える」となる。これも本当に両手を頭の上に乗せてうつむいたのであろうか。