文章表現にみる「重い病」と「良い病」

(3)~と思う

自分の意見を表明する文章を書くと、つい語尾が「思います・思う」になってしまう。かなり意識して文章を書かないとこれは防げない。黒木登志夫さんは、これを「思い病(重い病)」と言っている。

自著、『いのちは輝く』の最終章で私が生命倫理に関して自分の考えを述べている部分を引用する。

「母親の権利」とは、妊娠の継続をどうするかの自己決定権のことです。本来、自己決定権とは大変重みのあるもので、周囲の人間はそれを尊重しなければいけません。ところが、日本ではこの自己決定するということが大変難しいと言えます。それには理由が二つあって、自分だけの判断でものごとを決めるということを私たちが苦手にしているということが挙げられます。もう一つは、日本では妊婦は常に周囲から不安をあおられ、あやふやな情報に惑わされるからです。

この段落の中には5個の文がある。そのほとんどの文末に「〜と思います」と書いても日本語として成立する。いや、成立してしまう。すると「思い病」にかかってしまう。自分の意見を述べるときは、断固として「思う」を使わないようにするべきだ。「思う」が並んでいる文章は稚拙に見える。

「会話の要約」で繰り返しは避けることができる

「思う」と並んで多いのは、会話のあとでの「〜と言った」である。これも頻出する。言いすぎである。これを「言い病(良い病)」と名づけよう。「良い病」を避けるためにはどうすればいいだろうか。

それは会話の内容を要約して表現すればいい。

「教授、その方法でうまくいきますかね?」と私は不安を伝えた
「おい、お前。それでも外科医か」と教授は皮肉った
「この若さで末期癌だなんてあんまりだ」と私は無念の思いを口にした

傍線部の部分は「と言った」でも成立するが、私はこういう方法で「良い病」を回避している。

ほかからも引用してみよう。

ところが維新側は「人の名前をいじって面白いと思う感性はどうか」(藤田文武幹事長)などと猛反発。泉氏は「悪口ではない」と強調したが、4月の統一地方選と衆院補選が近付く中、他の野党との確執を招いた泉氏の言動に対し、立憲内では「何がしたいのか分からない」(党関係者)との不満がくすぶる。
毎日新聞2023年2月19日から引用

「などと猛反発」「と強調した」「との不満がくすぶる」で発言を受けるところがうまい。「〜と語った」とか「〜と述べた」では文章が拙い印象を受ける。

「と言った」を回避することで、「良い病」に罹らないで済む。