学卒後はOLとして数年働き、結婚して専業主婦として生きる。一時期、女性にとってそんな働き方が当たり前だった。雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんは「経済成長と人口の多さがそれを可能にした。しかしバブル崩壊とともにOLという働き方は主流から消え、共働きがメインになっていった。ただ、働き方が変わっても当時の人々の意識は“軋み”として残ったままだ」という――。

働き方は変わったが、意識と仕組みが取り残されたまま

前回は、戦後の日本企業太平期に作られた「昭和型価値観」について書きました。

それは、男女の心だけでなく、産業構造や教育指導までもシフトさせました。

ところが、バブル不況以降の失われた20年に突入すると、産業界では昭和型を維持することができなくなってきました。そして、働き方は崩れていく中で、「心」は過去のままであり続け、軋みを起こし始めます。

この流れについて、若年層の女性に向けて書いた拙著『女子のキャリア』から、引用して説明することにします。

<以下引用>

日本の社会(ここでは「働き方」)は、少しずつですが、長い時間をかけて相当変わってきました。

ただ、働き方は変わっても、過去の働き方で育った人たちの気持ちや価値観は、(もうすでに作られてしまったものなので)なかなか変わりません。同様に、過去に作られてしまった仕組みや関係なども、なかなか変更することは難しい。だから、そこにギャップが生まれてしまいます。

今の世の中でも、その昔に作られた仕組みが温存されて、軋みを起こしていることがよくあります。女性のキャリアを考えるうえでも参考となるので、今度は少し、この昔の仕組みと今の働き方の軋みについて、話をしていくことにしましょう。

男性は大卒なら全員管理職になれた

ビジネス街の大きな会社では、女性は30歳までしか働けない。そんな状況でした。ではその当時の男の人は、どんな働き方をしていたのでしょうか?

こちらも、詳しく企業の中身をのぞいてみると、今とはずいぶん違う働き方をしていました。

階段を上がっていくビジネスパーソン
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです

今、大手の人気企業は高校の新卒者をホワイトカラーとしてあまり採用していません。大学卒業者ばかりが働いています。しかし、1970年代前半までは、こうした大手企業でも高卒でホワイトカラーの正社員を普通に雇用していました。彼らは本社の内勤部門や工場・営業所の事務などの仕事に就き、大卒者のサポート役として働くことが多かったようです。

そのころの日本は、まだ円高などどこ吹く風で、国内に多数の工場を持ち、そこで作られた製品を世界各国に大量に輸出していました。そのため、地方の工場や営業所に行くと、これまた地元採用の高卒社員が多数います。そう、大手企業といえども、社内には高卒の社員が多数、働いていたのです。

【連載】「少子化 女性たちの声なき主張」はこちら
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逆に言うと、大卒はそれほど社内に多くはなく、少数のエリートであったともいえるでしょう。だから、そんな「エリート」の特権として、将来はほぼ全員が必ず管理職まで昇進でき、退職後は関連会社に天下りができたりもしました。

そう、今のように、誰もが大学に行く時代の大卒とは、大きく立場が異なったわけです。

にもかかわらず、そんな昔に出来上がってしまった常識が抜けないから、今でも「大卒で総合職として採用されれば、みな管理職になれる」と思ってしまうところがあります。これなど、先ほど書きました「軋み」のわかりやすい事例と言えるでしょう。