昭和時代に存在したヒエラルキー

さて、当時の社内を少し荒っぽく説明すると、「大卒エリート」が一番上に陣取り、その下に「高卒ホワイトカラー」「高卒製造職」が位置し、そして一番下に「女性事務職」の人たちがいる、そんな構成となっていました。

今の人からすれば、大卒エリートは満足するかもしれないけれど、その下の人たちはなぜ文句を言わかないか、と感じてしまうでしょう。

しかし、当時は当時でうまくできていたのです。

チェスの緑のポーンがピラミッドの一番上に立っている
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高卒で正社員として採用された男性たちには、まず、終身雇用という「安定」が用意されていました。また、昇進についても、細かく階層を区切りながら、最終的に課長一歩手前の「課長補佐」まで出世できるように設計されていました。しかも、著しく業績が素晴らしい好人物は、高卒でも抜擢されて部長や事業部長、少数ながら役員にまで上り詰める人がいたのです。

そんな感じで、「安定」「やや昇進」「時折抜擢」があったため、文句を言う人がなかなか出なかったといえるでしょう(ただ、「課長補佐」で昇進が止まった多くの高卒者は、「結局俺は高校しか出ていないから」とよく不平不満を漏らしていた、と耳にします。彼らの学歴コンプレックスが、子どもたちに大学進学を勧める一つめの理由になったのではないでしょうか)。

熟年男性社員の年収は初任給の3.5倍

ここまで読んで、女性にはつくづく何もないと感じたのではないでしょうか?

まず、30歳で辞めることが前提だから、安定などありません。もちろん、昇進も抜擢もないでしょう。なのになぜ、女性たちはこの働き方に文句を言わなかったのか?

一つには、時代・社会がそれを許さなかったという部分があるでしょう。

もう一つ。人事や企業経営に詳しい人は、女性に特権的に与えられた権利が一つだけあったと、冗談半分ながら、語ります。

それは、「社内結婚」。

まだ当時は見合いでの縁組もそれなりにあったのですが、それでも戦後30年以上たって欧米文化が浸透していた時期でもあり、社内での恋愛結婚組も普通に生まれていました。

一番つらい立場にいた彼女たちは、エリートと恋に落ちて結ばれると、今度は専業主婦という特権を手に入れることができます。奥さんが専業主婦でも成り立つくらい、当時の熟年社員の給与は高かったのです。賃金構造基本統計調査という統計で計算してみると、大卒初任給を1としたとき、当時の大企業の熟年社員は3.5倍近い年収となっています。現在は2.7倍程度(図表1)なので、その高さがよくわかるでしょう。

【図表】大卒男性の昇給カーブの変化