自民党総裁選は9月29日の投開票に向けて後半戦に突入した。4候補がひしめく中、世論調査では、河野太郎行革担当相が1位を占めるものの、決選投票に持ち込まれるとの分析が多い。背景には党の実力者や長老たちが、こぞって河野氏の当選を避けようとしていることが指摘される。「自民党の異端児」と言われてきた河野氏は、なぜこんなに嫌われるのか――。
総裁選必勝を期す会でポーズを取る(左から)自民党の石破茂元幹事長、河野太郎規制改革担当相、小泉進次郎環境相
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総裁選必勝を期す会でポーズを取る(左から)自民党の石破茂元幹事長、河野太郎規制改革担当相、小泉進次郎環境相=2021年9月17日、東京都千代田区の衆院議員会館

森喜朗元首相は、20年前の怒りを忘れていない

「看板を人気のある者にしたい。選挙が危ないから人気のある総裁を選んでその下で選挙をやる。(そういう発想は)大きな間違いだ」

18日、森田健作・前千葉県知事のラジオ番組に出演した森喜朗・元首相は、こう言い放った。名指しこそしていないが、知名度の高い河野氏を総裁選で勝たせて衆院選で有利に戦おうという議員がいる自民党の空気を戒めたもの。河野氏の総裁就任は「許さない」という意思表示でもある。

森氏は政界を引退して10年近くになるが、今も政界では党内に影響力を持つ。森氏自身は高市早苗・前総務相を推しているとされ、子飼いの議員たちも高市氏支持が多い。

森氏の「河野嫌い」は筋金入りだ。森氏は、派閥全盛の昭和の自民党で一歩ずつ力をつけて、2000年に首相にまで上りつめた。しかし、そういう森氏を、河野氏は「古い自民党の象徴」と批判してきた。

「腐ったリンゴ」「ずさんな計画」と言われ放題

森氏が首相として挑んだ2000年の衆院選で自民党が議席を大幅に減らした時、河野氏は「自民党的なものが負けたのだ」などと森氏の責任論を追及。2009年、政権から転落した時には森氏ら長老たちを「腐ったリンゴ」とまで言い切り、退場を迫ったことがある。

2015年、東京五輪のメイン会場である新国立競技場の総工費がどんどんふくれあがった時も、河野氏は党無駄撲滅PTの座長として「ずさんな計画」などと問題視、結局計画は白紙からやりなおすことになった。当時の五輪組織委員会の会長は森氏。河野氏らの動きを、スタンドプレーとして苦々しく見ていた。

国立競技場
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森氏も黙ってはいたわけではない。2009年、野党自民党の総裁選で河野氏が名乗りを上げた時は、同じく若手議員の西村康稔氏を擁立。これは「若手票を分散させて、河野氏を惨敗させる」ための手だったと言われる。今回の総裁選でも「河野だけは……」と思っていることだろう。