生活習慣という概念を持っていなかった

僕は、今でもあまり褒められた生活習慣を持っているわけではありませんが、人生のある時期まで生活習慣を作るという概念を1ミリも持っていませんでした。

僕が新卒で会社に入った後の生活習慣は、平たく言ってメチャクチャだったと思います(まぁ、それ以前はもっとメチャクチャでしたが)。帰宅するなり酒をあおり、明け方まで目を血走らせて過ごし、数時間の眠りについた後、身体を引きずるように職場へ向かう。こんなコンディションで良い結果なんて出せるわけがないのです。

自分の異常性に気づいたのは、深夜の3時にコンビニまで酒を買いに行ったときでした。仕事の始まりまではあとほんの6時間です。8時には家を出なければいけないのに、酒を飲み始めてどうしようと言うんでしょうか。でも飲んでしまっていました。

部屋中に酒の空き缶が散らかり、電話口からの異常な様子に気づいた当時の恋人が飛行機で駆けつけるまで、僕はその生活を続けていました。彼女が激怒しながら処分した空き缶は、一番大きいゴミ袋に3袋という量だったのを今でも覚えています。

机の上は空き缶の林のようになっていました。仕事を辞める、という判断は今考えると間違いではなかったのかもしれません。その後の起業という判断も正解だったとは言い難いですが、あの職場に残っても明るい未来はなかったでしょう。傷病手当や疾病休暇は取れたかもしれませんけどね。

そして、起業も一時の良いときはあったものの、つまるところ失敗に終わりました。

やっと気づいた「僕はジョブズではない」

悲惨ですね。こうして言語化してみると、僕は実に模範的な死に方をしています。事態の表面化が遅れたため、最悪の時点で発達障害と向き合う羽目になったとも言えます。逆に言えば、この失敗を逆さにひっくり返すと、多少は正しいやり方が出力されるのではないでしょうか。

「俺は発達障害者で特殊な才能を持っている」というある種の信仰、例えばアップル創業者のスティーブ・ジョブズも発達障害者だったと言われることがありますが(明確な根拠はないようです)、ああいった神話的な人物と自分を重ね合わせる悪癖が抜けたのは、本当に最近のことです。

早期に自己の問題と正面から向き合い、対策を講じ、職場などの人々に対して、あるいは他者に対して共感的に敬意を持って接する。あるいは、自己の適性に見合った職場に就く。それだけのことができれば、もっとマシな人生があったのかもしれません。