性差を超えた規格外能力。議論はしても喧嘩はない

医師や東大を目指すなら桜蔭へ。これが女子のスタンダードなエリートコースの1つとなっているが、実は女子校には理系の学校が多いとおおた氏は指摘する。

「共学校はどうしても社会の縮図になりがちです。『女らしさ』や『可愛らしさ』などの性差のバイアスに引っ張られ、女子自身が自らの能力を狭めてしまう傾向もある。特に思春期は、異性からどう見られるかがヒエラルキーを決定づけるため、容姿が優れコミュニケーション能力が高い子はトップに立ち、いわゆるオタクは最下層に落ちる。

ところが、女子校あるいは男子校ではその価値観から解放されます。異性の目を気にせず、自分の好きな趣味や学問に没頭できるため、成果や自信も生み出しやすい。実際に女子校出身者のほうが共学出身者よりも進学先の選択肢が多様で、かつ理系に進む女性が多いことは、海外の調査でも明らかになっています」

論理的思考能力は学問のみならず、交友関係にも影響を及ぼしている。一般的に女子の世界では、誰と誰が仲が良いか、誰がピラミッドのトップに立っているかなど、複雑な人間関係に悩まされることも多い。ところが桜蔭では、むしろ他人と必要以上につるむことが嫌がられるなど自主独立の傾向が目立つ。

「トイレに友達と連れ立っていくなどありえない」「気が乗らなければ『今日は1人で帰る』といっても誰も何も思わない」「議論はしても学校で喧嘩を見たことがない」という話は桜蔭生からよく聞かれる。

感情論ではなく論理的に相手を論破していく力は、長じて物事に冷静に対処していく基礎力となる。だが同時に、卒業して初めて女子同士のドロドロとした交友関係に接し、その対処の仕方に戸惑ったと語る卒業生も少なくない。性差を超えた能力と対人関係力、これが桜蔭生の特徴ともいえるだろう。

世の中には、まことしやかに流れる「女子御三家」生徒の気質を表す例え話がある。それは、「道に空き缶が落ちていたら、桜蔭生は参考書を読んでいて空き缶に気づかない、雙葉生は拾って捨てる。女子学院生は皆を集めて缶蹴りをする」というものだ。

これを矢野氏はこう書き換える。

「桜蔭生はごみ箱に捨てにいくが、途中で缶に記された原材料や成分をチェックする。女子学院生は考え事にふけり缶が落ちていることにそもそも気づかない。雙葉生は誰が捨てるかじゃんけんで決めるが、他人が通りかかったら自分で捨てにいく」