そうした作品をつくることに限らず、ひとり想像することは、自分をより自由で豊かな世界の中で生かすことができるという側面があります。

たとえば名作『赤毛のアン』の主人公アンは、咲いたバラを見てこう言います。

「あら、早咲きの小さなばらが一輪咲いているわ。美しいこと。あの花は自分がばらなことを喜んでいるにちがいありませんわね?」

何も想像しなければ、そこにただバラが咲いているという風景に過ぎません。しかし自分が遭遇する出来事や事象に対しそのようにとらえることができると、いつでもどのような状況でも幸せを噛みしめることができるのではないでしょうか。

ひとり想像することは生きる知恵

さらに現実とは関わりなく、想像力ひとつで自分を取り巻く環境を前向きにとらえることができます。

先ほどのアンも、孤児の自分が引き取られるとき、待ち合わせ場所に里親がなかなか来ない不安をこう想像しています。

「もし今夜いらしてくださらなかったら、線路をおりて行って、あのまがり角のところの、あの大きな桜にのぼって、一晩暮らそうかと思ってたんです。あたし、ちっともこわくないし、月の光をあびて一面に白く咲いた桜の花の中で眠るなんて、すてきでしょうからね」

普通であれば、もし来てくれなかったどうしよう、どうやって生きようかと絶望するのではないでしょうか。その絶望感の行きつく先は、自殺です。

自殺する人は、仕事やお金、健康や人間関係などで未来を否定的にしかとらえられないからであり、それは想像する能力が低いことを意味します。

しかしそれが仮に現実逃避であっても、アンのような想像力があれば、どんな不幸な状況でも肯定的に解釈することで、自分の生すら支えることができます。

つまり想像力は生きていくうえでの戦略的な知恵であり、究極のサバイバル術であるとも言えます。