「かあさんがすきめいわくばかり」の真実

ひとつは2004年のこと。少しでも手が動くお子さんには、パソコンを使って50音を選択する方法で、言葉を綴ってもらっていたのですが、重度障害で体を動かすことがほとんどできない9歳の女の子にもパソコンに触れてもらいました。すると、しばらくしたら、「か」「あ」「さ」と打ち出したのです。私は「えっ?」と驚きました。しかし、「か・あ・さ」はすべてあ行です。偶然なのかもしれません。でも、次の文字で「ん」を選択したら、それはもう偶然ではありません。あ行は触れることはあっても「ん」は探して選択しないといけないからです。次の文字を選ぶまでの1分程の間、心の中で私は「これで『ん』を選んだらすごいことになる」と息をのんでいました。

果たして、次に選ばれた文字は「ん」でした。

この瞬間、私の頭の中では大音量でガラガラと何かが崩れてゆく音が響き渡りました。「どうやら自分の考えが間違っていたらしい……」。まさに自分の固定観念が崩壊していく瞬間でした。

それまでの常識が覆ったことは決定的でした。

彼女が打った文字は、
「かあさんがすきめいわくばかり」(母さんが好き 迷惑ばかり)
彼女は幼いなりに、自分の境遇を理解し、人生で初めての言葉を、最も身近で愛情を注いでくれている母親へ綴ったのでした。

以来、私は「障害の程度がどれほどであれ、すべての人に言葉がある」ことを強く信じて接するようになりました。そうすると、ますます多くの子供たちから言葉を引き出せるようになったのです。

もうひとつの出来事は、2008年12月のある日のことでした。いわゆる自閉症と診断される成人の方に聞いたことがあります。彼らはある程度言葉が使えるのに、手を出したり、紙を破ってしまったり、言っても通じないときがあるのです。「なぜそういう行動をとるのですか」と聞いたところ、即座に「体が勝手に動く」と返ってきました。「ああ、そうなのか」と、こちらもすんなり納得しました。

すでに、自閉症の東田直樹さんが自ら綴った書著『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』(エスコアール)も出版されており、彼らの無意識な行動の理由が裏付けられました。彼らはコントロールできる部分もあるが、できない部分もある。勝手に動く口や体のために、自分たちも苦しんでいたことがわかったのです。