最後は、死ぬ……。「悲しい努力」の徒労感

● 1期(最初の2週間)

ある日、父が突然寝たきりになり、介護は始まった時は事態に対応するだけで精一杯。ただ、ケアマネージャーをはじめ訪問看護師さんなども、父の状態を少しでも良くしようと尽力してくれたので、それを信じアドバイスに従いました。前向きの努力をしていたわけです。

● 2期(3~4週目)

それから2週間ほどすると、介護に必要な用品、受けるサービスなどの介護態勢は整いました。が、肝心の父はふさぎ込むようになった。また、不眠を訴え、私を夜中に頻繁に起こすようになったため、こちらも疲れが出てきました。まだ、状態は良くなるという望みは失っていませんでしたが、その一方で、こんな日々がいつまで続くのだろうという不安も生まれました。この頃から認知症の症状が出始めます。

● 3期(5週目以降)

その2週間後、つまり介護が始まって1カ月ほどした頃、認知症で父の言動がおかしくなり、「もう良くなるのは無理かもしれないな」と思うようになりました。そしてさらに2週間が経った頃、父の症状が急変し病院に搬送され、1カ月ほど入院した後、息を引きとりました。

父が亡くなった時はさまざまな感情が錯綜しました。もちろん最初に感じたのは悲しみです。会話の多い親子ではありませんでしたが、互いを理解していたと思いますし恩も感じていました。

その父を亡くした喪失感は大きかった。

ただ、その一方で、どこかに「これで介護は終わったんだ」という安堵感もありました。次に少し冷静になると「あの介護に忙殺された1カ月半はなんだったのだろう」という思いもふつふつと生まれました。徒労とは思いませんでしたが、した努力が好結果に結びつかなかったむなしさがどこかにあったのです。

介護に対する努力というものは、多くがこのように「死」で終わるものだと思います。だから「悲しい努力」と感じたわけです。

介護が1か月半という短期間で終わった私でさえ、こんなことを思う。数年にわたる長期間の介護をしている方、された方は私とは比べものにならない苦労、膨大な努力をしているはずです。そんなふうに思う方も多いのではないでしょうか。