親を敬愛する心が、完全に失われる日

介護ドキュメント(http://president.jp/articles/-/12179)の項でも書きましたが、私が父の介護をし、看取った時、「介護は悲しい努力だな」とつくづく思いました。

希望に向かってする努力、何か明るい結果を求めてする努力は、やり甲斐があるものです。親の介護が始まった時は、介護をする側も気が張っていますし、よりよい介護をすれば親の状態が良くなるのではないかという思いもあって、そうした前向きの努力をします。ケアマネージャーにアドバイスを求めたり、本やネットで情報を集めたりするなど、よい結果を求めて介護の知識や技術を身につけるわけです。

実際、その努力が報われるケースもないわけではありません。

適切な介護によって心身の状態が改善され、要介護度が軽くなる人もいる。寝たきりに近かった人が、散歩できるまでに回復することもあるそうです。心身の状態が良くならないまでも、親が何かに喜びを感じ笑顔を見せれば、子としてもうれしいもの。また、子が自分のためにしてくれていることを感謝し「ありがとう」のひと言でも言ってくれた時は、努力も報われたと感じることができます。

しかし、事態がそうした明るく前向きな方向に向かうことは圧倒的に少ない。

老いによって衰え要介護になるわけですから、体の状態が良くなることは望めず現状維持が精一杯。認知症が発症し進行するようにもなります。そうした状態の悪化に伴い、介護者の苦労、心身の疲労は増していきます。

私の場合は思いがけず父の病状の進行が速く、介護は実質1カ月半で終わりました。それでも精神的、肉体的に疲労困憊しましたし、介護に対する心境も変化していきました。

ある時は前向きになり、ある時は後ろ向きになる。

そんな具合で心境は日々微妙に変わりましたが、今あの1カ月半を振り返ると、大きく3期に分かれたように思います。