なぜ「超一流」は慈善活動をするのか

私はポルトガル人のサッカー選手、クリスティアーノ・ロナウド(以下CR7)の本の翻訳も担当したことがある。彼は、かつて「みんな、オレが美形で、金持ちで、偉大な選手だから嫉妬しているんだ」とつい本当のことを言ってしまい、一部から傲岸とされている男だが、一方で末期の小児がんに侵されたスペイン人少年の願いを聞き入れ、病室で見舞った上に代理人と共に最期まで治療費を払ったことがある。つまり、ジョコビッチとCR7の2人には異邦人にも訴えかける、ナショナリズムを超えた何かが備わっているのだ。

ジョコビッチとCR7にはもう1つ共通点がある。2人ともマルチリンガルだということだ。

ここで私が言う「マルチリンガル」とは、「3か国語以上で記者会見など公式の場で通訳者なしに話せる」程度をさしているが、CR7はポルトガル語・スペイン語・英語で会見に応じることができる。

ジョコビッチは、母国語のセルビア語に加えて英語・フランス語・イタリア語・ドイツ語も操ることができる。コーチはドイツ人のボリス・ベッカーであり、個人マネージャーはイタリア人で、自宅はフランス語圏のモナコである。ローマで優勝した際も、大観衆を前にイタリア語でそのままインタビューに応じた。一方、準優勝のフェデラーは通訳者を通じて英語で受け答えしていた。

かつてジョコビッチはフランスのTVに出演し、「ローラン・ギャロスで優勝トロフィーを掲げ、インタビューに答えたい。それがフランス語を勉強する動機になっている」と語ったことがある。

雑誌『プレジデントファミリー』のムック「英語子育て大百科」(現在発売中・プレジデント社)によれば、錦織圭は13歳で米国留学し、テニスだけでなく英語を習得した。それが、ランキング上昇の一因にもなった。ただ、今後さらに飛躍するには、もしかしたら英語以外の語学習得も必要かもしれない。

言うまでもなく、外国語は一夜漬けでできることはない。つまり、長年にわたりジョコビッチは潜在意識の次元から自分にはイタリア語が必要になる、ローマ開催の大会で優勝すると確信していた、という証ではないか。フランス語も同様である。

そして、ジョコビッチは間違いなくセルビアそのものを背負っている。‘90年代の紛争で、同国のイメージは地に墜ち、西側諸国の空爆まで受けた。だが、自分が強くなればセルビアをよく見てもらえる。そして、かつて争った仇敵をもつなげられるかもしれない。そんな意識があるからこそ、“Support Serbia and Bosnia”という言葉が出てくるのではないか。

今年、ロジャー・フェデラーがドバイでジョコビッチに勝ち、イタリアでは逆にジョコビッチが勝ったのは偶然ではない。2人は世界1位と2位なのだから、それほど実力差があるはずがない。さすがのジョコビッチもアラビア語は知らないだろうから、ドバイにおいてはその差がなかったということではないか。

もし、あなたがイタリア人なら「通訳を通じて英語で話す」王者(フェデラー)と、「わざわざイタリア語で話してくれる上に、祖国全体を背負い、しかもかつての仇敵のことも思い、その上で極東の小島の災害支援もする」王者(ジョコビッチ)と、どちらを応援するか。

考えるまでもない。

フェデラーもまた慈善活動に力を入れる偉大なマルチリンガルだが、彼と比べてさえもジョコビッチの器の大きさは歴然としている。「情けは人のためならず」とはまさにこのことで、一見テニスと関係なさそうな慈善事業や外国語学習が、めぐりめぐって会場を味方に引き付ける、流れを引き戻すことにつながるのではないか。