30年で人口が300倍になった都市

世界経済の地図は、近年急速な変化を遂げてきた。きわめて大きな変化が空前のペースで進行しているのだ。新しい経済的エネルギーの集積地がその地図の上に出現する一方で、古い経済的中心地が退場しつつある。発展している都市もあるが、逆に衰退の道を歩んでいる都市もある。一昔前まで世界経済の地図上でケシ粒のような存在だった町が巨大都市に変貌し、何千もの新しい企業と何百万もの雇用を生み出しているケースもある。新しい経済の都が登場し、古い都に取って代わろうとしているのである。

世界経済の勢力図がどのように変化してきたかは、中国の沿岸部の都市、深センを見ればよくわかる。もし、あなたがこの町の名前を聞いたことがないとしても、今後はたびたび耳にするようになるだろう。深センは世界経済の新しい都の一つであり、いま世界で最も急速に成長している都市の一つでもある。わずか30年ほどの短い期間に、この町は小さな漁村から、1000万人を超す人口を擁する巨大都市に様変わりした。アメリカにも、ネバダ州のラスベガスやアリゾナ州のフェニックスなど、30年で人口が倍増した都市があるが、深センは同じ期間に人口を300倍に増やし、世界の製造業の都にのし上がった。

深センの台頭に注目すべきなのは、それが日米の製造業の衰退とほぼ表裏一体の関係にあるからだ。30年前、深センという町を知る人は、中国の広東省の外に出ればほとんどいなかった。この町の運命が――そして、日本とアメリカの製造業で働く何百万人もの人たちの運命が――決まったのは、1979年のことだ。この年、中国指導部が経済特区の一つとして深センを選んだのである。新設された経済特区には、たちまち外国から大量の投資が流れ込むようになり、何千もの新しい工場がつくられた。日本とアメリカの製造業雇用の多くは、そうした工場に流出していった。

アメリカの工業都市であるデトロイト(ミシガン州)やクリーブランド(オハイオ州)が衰退するのを尻目に、深センは大きく成長した。いま好景気に沸いている都市を見たければ、深センを訪ねればいい。あらゆる業種の大規模な生産施設が町を埋め尽くしている。毎週のように新しい超高層ビルが出現し、新しいオフィスや住宅が生まれている。高給の働き口を求めて農村から多くの人がひっきりなしに流れ込み、働き手の数も増え続けている。中国の人々の間では、「高層ビルが1日に1棟、大通りが3日に1本」のペースで生まれていると言われるくらいだ。この町の混み合った道を歩けば、旺盛なエネルギーと楽観的な雰囲気を肌で感じ取れるだろう。

深センは、中国屈指の経済活動の中心地であり、この20年は中国最大の輸出拠点でもある。いまや深センの港は、世界的に見ても異例の活況を呈している。広大な港湾施設に背の高いクレーンが林立し、貨物列車や大型トラック、色とりどりのコンテナがひしめき、24時間休むことなくコンテナが巨大な貨物船に積み込まれてアメリカ西海岸などへ運ばれていく。港を出ていくコンテナは、年間にざっと2500万個。1秒に1個近いペースだ。出航して2週間足らずでアメリカ西海岸の港に到着した工業製品は、またトラックに載せられて、ウォルマートの物流センターやIKEAの倉庫型店舗、アップルストアなどに運ばれる。