2014年2月28日(金)

「五輪チャンピオンという肩書きを背負っていけるぐらい強い人になりたい」-羽生結弦

コーチの名言+PLUS—闘う者を磨く「ことば」の力【第74回】

PRESIDENT Online スペシャル

著者
松瀬 学 まつせ・まなぶ
ノンフィクションライター

1960年、長崎県生まれ。早稲田大学ではラグビー部に所属。83年、同大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。著書は『汚れた金メダル』(文藝春秋)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。

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松瀬 学=文と写真

羽生結弦(ソチ五輪フィギュアスケート男子シングル金メダリスト)

はにゅう・ゆづる●1994年、宮城県仙台市出身。2013年東北高校を卒業後、早稲田大学に進学。女子フィギュア金メダリストの荒川静香は高校・大学の先輩に当たる。同年7月より全日本空輸に所属。12年の世界選手権で銅メダルを獲得し、13年のグランプリファイナルで優勝。オリンピック初出場のソチでは、ショートプログラムで史上初の100点台をマークし、その後金メダルを獲得した。身長170cm、血液型はB型。

時の人である。美しい演技でファンを魅了し、ソチ五輪のフィギュアスケート・男子シングルでは日本人男子初の金メダルに輝いた。

驚嘆すべきは、その向上心だろう。帰国会見では、涼やかな表情でこう、言った。

「金メダルは非常に誇らしく思っています。ただ僕自身、演技の内容に満足しているわけじゃありません。もっと強いスケーターになりたい。これからオリンピック・チャンピオンという肩書きを背負っていけるぐらい、強い人になりたいなと思います」

あっぱれな19歳である。浮かれたところは少しもない。謙虚に、素直に、記者の質問に応える。「日本に帰って何をしたいか?」という問いには、少し微笑み、困った顔付きをつくった。

「何をしたいかというと、とくにはないです。ただ、どちらかといえば、早く練習して、世界選手権(3月)に向けて、一生懸命やりたいなと思っています」

ソチ五輪のショートプログラム(SP)でほぼ完ぺきな演技を見せた。フリーでは転倒したが、ライバルのパトリック・チャン(カナダ)をかわした。金メダルにも「うれしさ半分、悔しさ半分。満足していない」と言ったのだった。

仙台市出身。2011年3月11日、地元仙台市のスケートリンクで練習中に東日本大震災にあい、リンクは壊れて営業停止となった。自宅も被害を受け、避難所で数日、過ごした。かつて師事したコーチがいる横浜のスケートリンクを仮の拠点とし、練習を再開した。この震災体験が、羽生選手をよりたくましくさせたにちがいない。

つねに被災地の人々のことを忘れない。とくに地元の支援や声援に感謝する。会見で報奨金の使い道を聞かれると、羽生選手は即答した。

「震災(で被害にあった人)の方への寄付や、フィギュアスケートのリンクへの寄付に使おうかなと今の段階では思っています」

子どもの頃からあこがれていたエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)選手がソチ五輪大会中に引退を発表し、そのプルシェンコから「私のアイドルだ」と言われた。フィギュアスケートの新たな時代の到来である。

4年後の平昌(ピョンチャン=韓国)五輪で2連覇は? という気の早い質問がでると、羽生選手はまっすぐ前を見つめ、しっかりと話した。

「現役は続行したいと思いますが、ピョンチャンオリンピックでの2連覇とかそういうことはあまり考えずに、日々精進していきたい。目の前の世界選手権で金メダルをとれるよう、オリンピック・チャンピオンとしてふさわしい人間になれたらいいなと思います」

切れ長の目の若者が肩に力をいれるでもなく、静かな口調でそう、話す。この覚悟、この使命感。「羽生時代」のはじまりである。

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