年明けに本格化する労使間の賃金交渉を前に、例年になく春闘前哨戦がかまびすしい。デフレ脱却に向け、安倍晋三首相が大企業に対して矢継ぎ早に繰り出す賃上げ誘導策に、賃金上昇に慎重な姿勢を崩さなかった経営側がにわかに軟化しだしたからだ。労働側も中央組織の連合が5年ぶりに賃上げの統一要求を復活させる方針を固め、政労使が賃金改善に足並みを揃えたかに見える。ただ、個々の企業には体力に大きな開きがあり、前哨戦のムードがそのまま賃金の底上げにつながるかは鵜呑みにできないのが現実だ。

経営側の変化を印象付けたのは、日本経済団体連合会(経団連)の米倉弘昌会長。10月10日、産業界への賃上げ要請行脚をスタートした茂木敏充経産相との会談で、企業収益改善の賃金への還元要請に対し「報酬引き上げにつなげたい」と応じた。加えて、経団連が毎年春闘に臨む経営側の方針を記す指針に「総報酬引き上げ」を盛り込む意向も確約した。

経営側の軟化はさらに続いた。政府が開催した17日の政労使会議で、トヨタ自動車の豊田章男社長が、ベースアップ(ベア)について「組合から要求があれば検討したい」とし、日立製作所の川村隆会長は「大きな選択肢の1つと考えている」と踏み込んだ。両社は春闘相場のリード役であり、ベア交渉容認に傾いたことで、間違いなく春闘全体に大きなインパクトを与える。

ここまでの経営側の軟化は、企業に賃上げを迫る安倍政権の思惑通り。特に「賃金は企業個々の労使交渉」が持論で、賃金への政府介入を嫌う経団連の米倉会長の宗旨替えは、春闘で経営側を束ねる立場だけになおさらだ。与党内の反対を押し切った復興特別法人税の1年前倒し廃止、賃上げ企業への法人税減税の拡充など、賃金抑制姿勢を緩めない大企業の外堀を埋めるように、執拗に放つ賃上げ誘導策に追い詰められた感は否めない。

ただこの流れ、賃金底上げにそう容易にはつながるまい。ベアを通じた月例賃金上昇は社会保険料の企業負担分に跳ね返り、65歳までの雇用義務化で膨らむ一方の人件費もあって、おいそれとは応じられない。大半が赤字で法人税減税と無縁な中小企業に賃上げ余地などなく、大企業との格差拡大も予想される。