キットカットやネスカフェでおなじみの、世界最大の食品企業・ネスレ。神戸に本社を置く日本法人では、“人事が8割”という社長のもとで社員たちが声を上げやすい環境が着々と整えられている――。
どこかほっとできる日本的企業
2011年3月11日、東日本大震災に伴う津波で生じた福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故で、多くの外国人が日本を脱出した。ところが、ネスレ日本の外国人社員は違った。
「帰ることは許さない。日本の力になりなさい。それがネスレだ」
地震発生から1時間後、スイス本社の副社長が発した言葉だという。相次ぐ脱出報道を、違和感をもって見ていた日本人としてはほっとする話である。そう、今回の取材を通じてのネスレ日本の印象は、「成果重視・個人主義的でドライな外資」というイメージを裏切る、どこかほっとできる日本的企業というものだった。
ネスレ日本は1913年にネスレ・アングロ・スイス・煉乳会社が横浜に日本支店を開設したことに始まり、以来、日本に根付いてきた「老舗」である。ネスレには「Think Globally,Act Locally」という行動哲学があり、ネスカフェやキットカットといった世界共通のブランドでも、価格や味の決定は現地法人に委ねている。郷に入っては郷に従えで、人事制度についても日本型を踏襲してきた。
「私が入社した頃は、先輩の女性社員が花束をもらって寿退社するのが普通でした」と語るのは、入社して四半世紀という藤沢祐子さん。人材・組織開発部で女性の活躍を後押しするダイバーシティユニットの責任者だ。
「90年代は日本企業的ですごくゆったりとした会社でしたが、いまは海外に出てバリバリ働きたい、出産しても半年で職場復帰したい、という元気な女性が増えてきて、もはや結婚・出産を理由に退職する社員はいません」
ネスレ日本では2008年からダイバーシティの取り組みを始めている。
「社員一人一人が持つさまざまな違いを受容し、それらを価値として活かすことで、人材の多様性を企業の競争力のエネルギーにしよう」ということで、ネスレ日本にとってダイバーシティは経営戦略そのものなのだ。
リーダーシップが培われる環境
2010年に、生え抜きの日本人で初のCEOとなった高岡浩三社長は、社長に就任してからは8割方を人事について考えてきたという。
「ダイバーシティ効果は、個々人の知識と経験の掛け算で決まります。性別や育ってきた文化・環境が違えば違うほど、その掛け算で効果が大きくなってくるので、そこからイノベーションにつながる新しい発想やアイデアが生まれやすくなる。また、異なる考えをまとめて一つの方向に導いていくリーダーシップも、意見が百出するダイバーシティの中で培われます」
ネスレ日本では社員を若いうちに異なる文化・環境に放り込んで育てようと、海外人材交流プログラムを導入している。外資系企業ならすでに社内がインターナショナルな環境ではないかと想像してしまうが、ネスレ日本の場合、外国人社員の比率は2%以下と小さく、部署によっては外国人と接する機会も少ないのが実情だという。海外経験のある社員に赴任前の英語力について質問すると、一様に「自信がなかった」「日常会話程度」という答えが返ってきたのも意外だった。
指示通りメンバーが動かず悔し涙を流したことも
交流プログラムで2014年夏から1年間、ネスレオーストラリアのスミスタウン工場に派遣された花島知美さんは、現在、茨城県にある霞ヶ浦工場で働いている。オーストラリアでは、主力製品である「ミロ」の品質向上プロジェクトのリーダーを務めた。メンバーはオーストラリア人、コロンビア人など7人の男女。英語力は日常会話が精いっぱいだっただけに最初は苦労もしたが、全員が意見をぶつけ合うことで成果が出たと花島さんは話す。
「勤続20年以上のメンバーもいました。年齢・性別・国籍関係なしで、互いにファーストネームで呼び合ってフランクな会話ができました。ただ……」
指示通りメンバーが動いてくれず悔し涙を流したことも何度かあった。
「直接会ってコミュニケーションすること。そこは世界共通だと思います。なぜやらなかったのか理由を聞いて、業務の重要性を丁寧に説くしかありません。そうするうちに心が通じる瞬間があります。いったん信頼関係が生まれれば、そこからは早かったですね」
プロジェクトチームの使命はミロの製造過程で生じる廃棄物を削減することだった。しかし、設備のどこをどう改造すればよいのか解決の糸口がなかなかつかめなかった。
「ネスレのほかの工場では最新設備を導入して高効率で稼働していました。それが当たり前であるがゆえに、私たちが悩んでいた問題についてはだれも気に留めず、有用な情報として発信されていなかったんです」
空気を読んじゃだめ。思ったことはしっかりと発言する
だれかの「当たり前」は、ほかのだれかの「大発見」かもしれない。そこを掘りあてるのがダイバーシティの効用だ。花島さんはオーストラリアに赴任してまもなく、R&Dセンターの助言を得て問題を解決したことがあった。その経験が後のブレークスルーにつながる。
「工場内でアイデアが出なければ外部に意見を求めればいいと、R&Dセンターの人を巻き込んで解決策を探りました。設備の構造を原理まで踏み込んで検討することで、改造の方向性が見えてきました」
その結果、廃棄量は一気に数%にまで削減でき、コストダウンと資源の有効活用に貢献することができた。
「空気を読んじゃだめ。思ったことはしっかりと発言することがチームワークを強固にするんです」と花島さん。同僚からは「派遣されて一層アグレッシブになったね」と感心されるようになったという。
メールや電話で済まさず、直接顔と顔を合わせて会話する
同じ交流プログラムで2013年にガーナに1年間赴任した芝勇人さんは、出産と育児をくり返しては職場復帰する女性の姿に衝撃を受けた。
「男女ほぼ同数の職場で、課長も部長も女性。部長は産休と育休で半年以上いなくて、それでも当たり前に仕事はまわっていました」
西アフリカと中央アフリカを管轄するネスレの拠点がガーナにあり、そこではガーナ人のほか、トルコ人、アゼルバイジャン人、ナイジェリア人、コートジボワール人、セネガル人、そしてブルキナファソ人などが働いていた。まさに多様性そのものの職場環境だ。その中で芝さんは原料調達を担当した。
「ミーティングに来ない、時間の約束を守らない、ということはよくありました。彼らには彼らの優先順位があるのです。いかに相手に動いてもらうかに心を砕きました」
メールや電話で済まさず、直接顔と顔を合わせて会話すること。日本のお土産“消せるボールペン”は有効なコミュニケーションツールとなった。
「ナイジェリアの工場で使う原料は、国際価格より高い値段で取引されていたのですが、同僚と知恵を出し合って、最終的に国際価格まで下げることができました」
周囲を巻き込んで目標を達成していく仕事の醍醐味(だいごみ)を経験した芝さんは、一回り大きく成長して帰国した。
新鮮に受けとめられた日本人的な勤勉さ
ペットフードのマーケティングを担当する栗田奈央子さんもオーストラリアで同じような経験をした。かねてから海外に興味があると上司に伝えていたことで2005年から2年弱のオーストラリア赴任が実現したのだ。結婚直後のことだった。
「外国人が定時で退社するのはイメージ通りなのですが、そうするために彼らは仕事に優先順位をつけています。ということは彼らの優先項目から外されたら、私の要望はいつまでたってもやってもらえません。積極的に働きかけることが大事だと学びましたね」
逆に栗田さんの日本人的な勤勉さは現地で新鮮に受けとめられた。英語力もなく、慣れないうちは土日に自宅で仕事をこなしたという。帰国時に上司が「最初は与えられた役割に対して、あなたはこれくらいだったけれど、いまはここまで来たわね」と手ぶりをまじえて評価をしてくれたことが、うれしいプレゼントになった。
2013年、栗田さんは女の子を出産。1年8カ月の育児休暇を経て2015年4月に職場復帰した。時短制度を利用して子育てと仕事の両立に励む毎日だ。もしかしたらオーストラリア時代よりハードかも、と思う。
「オーストラリア時代の上司は女性で、1歳にも満たない2人目の赤ちゃんを育てている最中でした。時間が限られているので、部下に対していかに的確に指示を出せるかが彼女には重要でした。まるでお母さんのようにサポートしつつ、かつ要求レベルも高かったおかげでかなり鍛えられました」