「問い」を持つと読書感想文も変わる
問いを持って本に向かい合う。考えたことをメモする。それをまとめて書き表す。この手順は、実は大人が論文を書くときも行っています。
ある実験結果に対して、問いを持って読み、データをとって、それは一体どういう意味があるのか、さんざん考えるから論文が書けるわけです。
前回、私は、読書感想文は子供を読書から遠ざける、読書感想文という制度はなくすべき、と主張しましたが、ひょっとしたら問いを持って本に挑むことができた子は、読書感想文も、ちょっと違うレベルで取り組むことができるかもしれません。自分の問いから始めて考えた読書感想文は、読むほうだって引き込まれるでしょう。
そもそも今、賞をとっている読書感想文は、感動系作文が多いんです。例えば、「弟をいじめていたけれど、この本を読んで反省した」という書き方。つまり自分がどう本を読んで、どう変化したのか、これも一つのフォーマットでありテクニックです。でもそんな読書感想文、読みたいかい? 書きたいかい? という話です。
でも自分で問いを立てて、本に挑むというのは、それこそ考えることの基本形です。自ら考えられる人になろうと思ったら、問いをつくる、答えを探す、もう一度考える、というループをぐるぐる回す訓練をすることが大事になります。
そういう意味では、読書感想文をうまく使えば、大人になっても、ずっと役立つ一生ものの思考回路をつくることができるのかもしれません。
心理的安全性がなければ感想も言えない
子供が読書感想文を書くときに、親がサポートするとしたら、親も同じ本を読んで感想文を書いてみるとよいでしょうね。それを子供と交換して、質問事項をつくって一緒に話し合う。
「登場人物で誰が好きだった?」
「好きな場面ってある?」
「かっこいいと思ったセリフはどこ?」
そもそも作品について、感想を持つこと。それを言葉で表すことって、たいへんなんです。自分の魂の一部をさらけ出すことですから。下手な人に下手なことを言うと、そんな大切な気持ちが即座に否定されてしまう。そして、たいていの親は、そんな“下手な人”をやりがちです。そんな心理的安全のないところでは、子供は感想なんて怖くて語れません。
ですから親は、子供がどんな馬鹿な質問をしたり、感想を言ったりしても、それにつき合う。枯れた井戸も水を入れて、汚れた水をどんどん出していけば、きれいな水が汲みだせます。それと同じで、馬鹿な質問や感想こそ受け止めてどんどん引き出していけば、本当に重要な質問や感想が出てくると知っておいてほしいですね。



