子どもは「天才なんじゃない⁉」が嬉しくない理由
ある子どもが、苦手な算数のテストでいい点数を取ったとき、親から「実は天才なんじゃない?」と言われることがあります。親からすると最大限のほめ言葉かもしれません。でも、子どもにすれば、偶然良い点が取れただけだったとしたら、次回も同じように期待されることが、大きな負担になる可能性があります。
過剰にほめすぎると嬉しいというよりも、逆に不安を感じ、次回のテストに対するプレッシャーを強く感じてしまうのです。次に親の期待に応えられなかったときに、失望されるのではないかという不安が、子どもの心に重くのしかかり、勉強に対する意欲を失わせてしまうことがあります。
親は自分の子どものちょっとしたことでも、何か素晴らしい才能があるのではと期待したりします。そこで子どもがテストで少しいい点数を取ると「もっといける!」と思って、つい「天才かも」といったような言葉をかけてほめようとしますが、実はそういった言葉は子どもを評価し子どもに期待しているのです。
しかし、子どもにとっては、そういった評価や期待が今後も求められ、もし次ができなければ親からはとても残念がられると予想できてしまいます。もしその子が親の顔色をうかがいながら生活しなければいけないような性格の子であれば、その不安はいっそう強いものになるでしょう。
求めているのは評価ではなく気持ちの共有
テストでいい点数を取ることももちろん大切ですが、子どもにとってもっと大切なのは安心して学べる環境があることです。テストの点数で親が一喜一憂するのではなく、子どもが自分の能力に見合った結果を出すことができ、それを適切に認めてもらえる環境が必要でしょう。
「天才かも」という言葉に限らず、大人からの一方的な評価や期待(子どもがいい点数を取ったからほめる、もっとやればできるはずだ、と絶えず頑張らせようとするなど)は子どもを萎縮させてしまいます。
子どもが求めているのは親からの評価以上に、一緒に喜んでくれたり悔しがってくれたりすることです。結果を一緒に分かち合い、いい点数で子どもも嬉しいなら親も嬉しいという気持ちを共有し、よくない点数なら一緒に受けとめる、そういった安心できる場を作っていきましょう。
逆にテストの結果がよくなかったとき、「結果よりもその努力や過程を評価してあげましょう」という指導法もよく聞かれます。ただ、これも場合によっては安心した学びの環境作りには適さないこともあります。評価することで「努力しない子」「努力できない子」は駄目だ、価値がない、というレッテルを貼ることにもなりかねません。
いずれにしても子どもをほめて頑張らせようとすることは、万が一、その意図が叶わないと、子どもを否定することに繫がってしまうのです。



